古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

非モテ行動問題

まぁ何回か取り上げたことなんですが…


よく非モテの当事者性を語るとき、真の非モテ(「真の非モテ」が存在するかどうかはこの際問わない)は行動しない/できないという考え方があります。曰く、真の非モテは部屋で一人でいるとか、Masao氏主催のオフ会(古い話ですが…)に集まった奴等は真の非モテではないとか…。
それは、人気者になったり、何かを作ったり、何か行動をおこしたりするのは非モテ的ではないと言うことです。
それはそのまま、クリルタイ非モテインターネットラジオ放送)なんていうものは例え非モテを名乗ろうとも他人と馴れ合って何かを作っている以上、非モテではないという批判が成り立ちます。
このあたりの感覚に敏感だからこそ、益田さんあたりはよく「非モテのために俺はモテることも厭わない」というような事をおっしゃっているのだと思います。


この、非モテは行動するなという考え方、原則論としてはよくわかります。やりたいことがあってもできなかったり、うじうじと思い悩んでしまっている、吹き溜まってしまっているこういうことが非モテ、もっというと「何者にもなれない」文化系の人間の本質的な行動パターンだと、私も思います。


ですが、この、行動するなという考え方、突き詰めると、このウェブの世界の住人はみな偽の非モテであるという事になってしまうのは明らかだと思います。例えば、ブログ書くのもそうだし、2chあたりでモテない恨みつらみを書き込む人も真の非モテではないでしょう。
だから以前のエントリではどこかで妥協して「この辺ならまぁいいだろ・・・」と「行動」を認めるしかないと書いたんですが、別に私は妥協してクリルタイを認めろといいたい訳ではありません。むしろ、クリルタイなんてつまんねぇよって自分で、自分だけが満足する非モテ論を書いたり、インターネットラジオを作ったりすればいいと思うんです。ブログなんかのおかげでこう自分の言いたい事を書くことが簡単になっていると思いますから。そうして声をあげていくことで非モテ層というか、なんかしらんけどこういう奴等がいるな、というのが世の中に認知されればいい。そうして非モテ的なコンテンツ、それこそ花沢先生のマンガがあんまり打ち切られないようになったりとか、すればいいなと、そんな事を思います。


多分、こうでもしてか細くてもいいから声を上げていかなければ、非モテの声なんてすぐにかき消されてしまうんだから。いつかはてな非モテ論壇なんてものすらなくなってしまうかもしれない。はてな非モテ論壇なんていつなくなってもいいけど、花沢先生のマンガが読みづらくなるのは悲しい。そうならないためにも自分達がおのおの勝手で構わないから声を上げていったほうがいいと思います。たとえ「行動」する事になっても。