古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

最近のCD

久しく書いていなかったわけですが、こんな感じ

SOUNDS

SOUNDS

LITTLE DRAGON

LITTLE DRAGON

FOR HER,FOR HIM,FOR YOU

FOR HER,FOR HIM,FOR YOU

LittleDragonはスリープウォーカーやらクープやらでボーカルやってる人のソロプロジェクトなんだけど、音的には想像してたのとはちょっと違いますね。どちらかというとThe Brids and The Beeに近いかも。でもそんなにポップでもなく、もう少し躍動感があって・・・不思議に聞いてしまう感じですね。
Studio Apartmentは前作は完璧な完成度を誇っていたので、今度はどう来るか・・・?といった感じだったのですが、わりと普通のハウスアルバムを出してきて、これは凄いなぁと。フロアで聞いてみたいとことです。
FreeTempoはもっとよく聴いてから感想書くと思います。とりあえずミズノマリのボーカルが違和感ありまくり!

善悪二元論で割り切れるほど世界は単純ではない

文句シリーズみたいになっていて申し訳ありません。
http://soulwarden.exblog.jp/6102975/


TV業界の仕組みが私にもわかるように書かれていて面白いブログなので時々チェックしています。
しかし、私が拭い難い違和感をこの方に感じるのは、例えばこういったところ。

何故こうなったのか。Youtubeに勝手にアップロードしまくり、ニコニコ動画で落書きをし、果てにはアフェリエイトの餌として使っていたのは誰かなのかと。
それに対して英語でYoutubeと交渉したり、業界団体で対策部会作ったり、無駄な労力ばかり費やす羽目になっている権利者側が、ユーザーを信頼しなくなっても、それは当然じゃないかと。

何度も言うが、表現というものは2つの立場が揃ってはじめて成立する。
表現する者と、それを鑑賞する者だ。どちらかが欠けても成り立たない。

soulwarden氏の言う、「表現する者」と「鑑賞する者」は一体どこで線引きがなされるのでしょうか。もっと言うと、「いいユーザー」と「フリーライダー」の線引きはどこでなされるのでしょうか。
そこで私みたいな文化系ニートでマスコミは入れなかったルサンチマン全開の人間はこう考えるわけです、


「要するににそれってあなた達の都合の良い人たちの事じゃないの?」という。


「いいユーザー」というのは思いっきり嫌味な言い方をするとネットなんか使えないおじいちゃんおばあちゃんの事じゃないの?という違和感があります。いい消費者と悪い消費者なんてどだい分けられないと私なんかは思うところではあるのですが。
そして、「表現する者」っていうのは要するにあなた達の「お仲間」のことでしょ?という。テレビ局入ったり、メジャーレーベル入ったりした人たちはクリエイティブだ、他人の着メロを取ってきてアフィリエイトの餌にするのは多分クリエイティブではないだろう。じゃあ同人誌は?ニコ動でコメント付けるのは?MADムービーは?ブログは?テキストサイトは?そういったのはクリエイティブなの?クリエイティブじゃないの?(ここでは著作権上の○×を言っているわけではないという事はわかりますよね?)どうなの?と問われたら回答は結構人によって違ってくるところではないでしょうか。
そこで「俺たちの『お仲間』だけがクリエイティブなんだよ」とやるのはまだいい(絶対認めないけど)。まぁ今まではずっとそういうかたちだったわけですから。じゃあこう下々のフリーライダーどもが「どうやってお仲間に入ればいいんですか?」とききました。そうしたら用意されている回答としては「いや、不景気で採用が・・・」とか「大学在学中に引きこもってた君は(スーパーフリーやってた他の人に比べて)クリエイティブじゃない」とかそういう回答がくるわけですよね。もっと最悪なのは「いや家柄が・・・」とかなるわけ。
まぁこれはどの会社であっても同じ事なんですが、じゃあそんなこと言わないで欲しい。

だから、そこから生まれたかもしれなかった「可能性」の一部は永遠に失われた。

とかおっしゃってる間に他の人たちの表現の「可能性」だって失われ続けているわけですよ。報酬すら期待せずモノを「クリエイティブ」しようとした人々の。フリーライダーどもだって、もしかしたら「表現者」になれたかもしれないのに。ブログやテキストサイトは多分クリエイティブだし、ニコ動だってやり方によっては多分クリエイティブだ。2chの書き込みだって場合によってはそうなるだろう。多分はてな村のクネクネはクリエイティブでもなんでもないけど。ありとあらゆる人間の営みがクリエイティブとなりうるし、人はどこで「手を動かし始めるか」わからないと私は思っています。
高度3000メートルの高みから言いますけど、インディペンデントな表現を認めない業界っていうのは早晩滅ぶんじゃないんですか。んで多分インディってカオスな所から出てくるもんでしょ。色んな意味で。
そういうのを認めてからコンテンツの優劣を競おうぜ、という。
大体、恐らく今後「表現者」と「消費者」という区分は果てしなく曖昧になっていくと思うんですよ*1。敷居がどんどん低くなって、「表現者」と「消費者」は瞬間瞬間で入れ替わり続けるような。それがネットの世界だけで完結するのか、それともリアルまで侵食するのかはわからないですが、少なくとも今よりはもっと混沌とするだろうな、という気はします。
そんな中で「表現者」「消費者」、「いい消費者」「悪い消費者」と単純に区分する世界観というのはあまりに危険なのではないでしょうか。

*1:そうなると面白いなぁという願望込みだけど