古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

『みのもんた』という妄想 〜 秋葉原殺傷事件に思うこと

http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2008/0630072344.php
参考:http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1140256.html
「マスコミはGTAの真の面白さを無視し、有害ゲーム規制問題に帰することで事件の本質をうやむやにしようとしている。問題はろくにプレイもしないまま規制を決めた某知事だ」
「一度は検討されたWii版CivRevの発売を、自らの会社のリソース不足で発売延期にしたのは2K Gamesだ。会社のリソース不足という現実がシド・マイヤーズを押し潰した*1
「セクハラ問題が最大の原因だった」



等々、事件からしばらく経った現在でも、秋葉原殺傷事件は多くの議論を呼んでいる。
結論から言って某知事に問題があることは事実だと思う。GTASAを含めたGTAシリーズ全体は全世界規模で発売され、成功をおさめたタイトルであるということは論を待たないし、過去最大の触れ込みで先日発売されたGTA4はすでに600万本以上販売されている。GTA4の発売初日の売り上げ(3億1000万ドル)と発売後1週間の総売り上げ(5億ドル)はエンターテインメント業界の過去最高記録とギネスに認定されている。こういったキラーコンテンツを一括して「有害ゲーム」に帰することはできないとも思う。ただし、GTAの日本版が「いつ発売されるか」をカプコンが明確に決めているかどうかはあやしい。



客観的に見れば、ブログ論壇のどうでもいい議論などよりCivGTAの方が「ずっと重要」だと思えるし、a-naitonは許容できないものの、日本の音楽業界の異常なまでの縮小傾向を考えれば、湘南之風が出るサマソニに何の希望も持てなかった彼の閉塞感も想像がつくのだ。でも、ヴァーヴとコールドプレイと、ジザメリと…他たくさんは見たい。
しかし主観と客観はまた別物である。
深刻な社会問題など二の次にして、ブログ論壇に「俺の言う事を聞かないのがすべての元凶」、「私のアドバイスさえ聞けば人生は薔薇色になるはずなのに」という、あきれるばかりのドリームを見ている人々が多数存在することは事実だ。



非モテ・非コミュ関連の議論を見続けてきた人ならば、「現実における適用性」「具体的なメソッド」などよりも、上から目線のアドバイスに対してのさらに上から目線のネガコメという「泥試合」の方が重大視されてきたネットの一部特性について考えざるを得ないと思う。
たとえば、


(1)非モテ・非コミュの人に対して特に具体的な提案をすることもできないし、理論もない。ましてや寄ってきた人たちをどうにかするような責任なんか絶対取れない→とりあえずはてブあたりで適当に攻撃しておこう


というまともな主張ではなく、


(2)非モテ・非コミュの人に対して特に具体的な提案をすることもできないし、理論もない。ましてや寄ってきた人たちをどうにかするような責任なんか絶対取れない→ぼく・わたしの言う事を聞かない非モテが悪い。とにかくぼく・わたしの意見を聞け。具体的な方策もないし責任も一切取らないけど。


という方向にねじまがっている言説をよく見かける。これは秋葉事件以前からの話で、なにも今に始まったことではない。
はてなブックマークや、増田ダイアリー、果ては「あんたにそんなこと言われてもなぁ…」という無職ニートまでもが、非モテ問題などより「自分の意見を非モテが聞くかどうか」を重視して、政治家や企業ではなく一般のブロガーを攻撃しいつまでも非モテという話題に粘着する。
Kanose氏はこの現象を、『非モテとみのもんた - ARTIFACT@ハテナ系』と説明している。
つまり、言及コストが低い恋愛という話題では、「俺の話を聞け」というみのもんたが続出するということだ。ましてや、リアルと比べて瞬間的な人間関係であるネットでは何の責任も負わずみのもんた化する人が数多くいる。(ネットで「責任を取れ」というのもどうかしているが)ということだが、わたしも同感である。


非モテ論議が失敗するありがちなパターン
非モテ関連に言及するアルファブロガーである、ナツ氏はかつてこう題したエントリで次のように主張した。つまり、はてな非モテ世界には「いい非モテ」と「悪い非モテ」とやらがいて、はてな村では悪い非モテが秘密結社のように暗躍して言論封殺を行っているという事らしい。
(そんなこというならPrimal Screamの夏に出る新作を楽しみにしつつROUND TABLE featuring Ninoでも聴いてればいいのにと思うのだが*2。)
それに対して、泡沫ブロガーのrepublic1963氏はナツ氏の「悪人」の区分を聞いてみた。


具体的なidについてはなんとなくわかるような気がしなくはないのですが、「極端な非モテが〜」というような記述をされている以上、特定のidではなくある集団(「〜のような言説をする人たち」)の事を指していると認識しています。

例えば、世間一般で童貞的と呼ばれる言説の代表例を以下に挙げますが、どこまでならOKなのでしょうか。


1:伊集院光(自分がモテない事をネタにしよう)

2:本田透(自分はモテないのでエロゲーとかをやって幸せになろう)

3:2ch喪男板(自分はモテないし、世の中は絶望ばかりなので引きこもろう)

4:ミソジニー(自分はモテないのは世の中のせいだ、女のせいだ)

※あくまでも例です。

私はそもそも「議論」が建設的である必要は必ずしもないと思うのですが、よくはてな界隈で言われる「非モテ」の基準はどこら辺にあるのか知りたいと思いました。「気に入らないidをdisりたいから」という理由でもない限り(「私の好き嫌いが基準だ!」というのも立派な基準だと思いますが)、なんらかの基準があるかと思いますので、よかったら教えていただきたい次第です。

が、泡沫ブロガー氏に対しての返事は未だないので、結局「悪人」の定義がどうなっているかはよくわからない。まさかここで、「国家は処女を配給すべき」と常々主張していらっしゃる、はてなの某ネ申の事を言っているわけではないと思うけれど(もしそうだったら笑うしかない)。


世の中には言論の自由というものがある。
基本的に各個人は何を言ってもいいという事だ。
だからといって、他の人がその人の言う事を必ず聞かなければならない、という事にはならない。
その人の意見が納得できなければ意見を聞かなくてもいいという自由もまた存在する。
ましてや、インターネットという世界ではその人の人格の一部分のみ増幅されて表に現れる。
その一部がその人間の全人格であるという妄想を元に他人に「アドバイス」を送る。
「言う事を聞かない人間が悪い」という、ネットに流布する物語が自己正当化を後押しする。
私はみのもんた的な人が存在すること自体は特段問題だと感じていない。
他人に意見したい、説教したいという感情は、新橋の居酒屋を覗くまでもなく人間にとって根源的な欲求である。だが、それでもなぜリアルではなくネットでみのもんたが生まれるか、それに興味がある。そして、みのもんたたちはなぜ自分のアドバイスはどれだけ上から目線であっても受け入れられる事が自明だと感じてしまうのだろうか。
そんな人間の「アドバイス」を聞く者が、果たして存在するのだろうか?


APRIL

APRIL

*1:http://stack-style.org/2008-01-29-02.html どうでもいい情報ですね、わかります。

*2:とか言ってたら視聴したPrimal Screamの新作は「EVIL HEART」のサウンドに近い感じでかなり期待できそう!