メガネという世代間抗争
もう多分旬*1を過ぎてしまったような気がするけどメガネ男子について。
いわゆる非モテ層の人たちがメガネ男子のことを槍玉にあげているのはメガネ男子がサブカルだからだ。要するに、非モテがメガネ男子を叩くのはミニシアター系センスよろしい映画や、おしゃれカフェを叩いたりするのと同じだ。
多分メガネ男子の本を書いた人もこの辺に自覚的で、ガーリーな感じのナイスメガネ(=要するにサブカルって事だろう)じゃないメガネ男子は取り上げないと言っているようだ。いとうせいこうや某カリスマミュージシャンは「ダメ」だし、サンボマスター山口なんて視界に入ってすらいないだろう。それが悪いとか非モテへの差別だとかそういうくだらないことを言うつもりはないんですが*2、少し気になる事がある。
メガネ男子=サブカルとしてのメガネの逆バージョン、メガネっ娘はどうなのかというと、その人気の秘密は、サブカルとしてなんかではなく恐らく弱いからだろう。優等生キャラとか本好きとか…性格的に弱くて、上品でおしとやかだから恋愛下手な俺なんかでも恋愛できそう・・・っていうオタク≒非モテの屈折した妄想によっていると思う。つまり、オタク、非モテのある層*3は彼等が大好きな純愛妄想を象徴する記号としてメガネを消費している。そしてこれは、一昔前の記号としてのメガネ消費法として非常にオーソドックスなものだった。
そこにサブカル的視点を持ち込むと共にサブカル、純愛妄想の信奉者両方を取り込もうとしたのが川瀬智子=トミーフェブラリー。つまり、今の(男女含む)メガネ好きムーブメントは本来純愛妄想的なアイテムとして機能していたメガネにサブカルを注入した事により(要するにおしゃれにしたってこと。代官山メガネ!)成立したのだと思う*4。つまり、少し前のメガネ男子好き対非モテっていうのはメガネ好き間での世代間抗争だったのだ。
どっちが正しいのかはよくわからん。ただ、私のような代官山メガネ大好きな人間からすると叩くべきサブカルはもっと他にいるような気がするんだけど・・・。○○○とか。あ、あいつもメガネか。