古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

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非モテツガク、ソクラテス編〜全ての非モテは敗北から始まる〜

このエントリは「非モテはどこから来て、どこに行くのか?」を探求するエントリです。
今日の講義は、「最初の非モテツガク者」ソクラテス

ソクラテス
古代ギリシアの哲学者ソクラテスソクラテス (Sokrates、紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)は古代ギリシアの哲学者である。 彼自身は著作を行わなかったため、その思想は弟子のプラトンや歴史家のクセノポンの著作を通じて紹介されている。

生い立ち
父はAV男優ないしAV監督、母は代官山メガネの販売店店員とされる。アテナイに生まれ、生涯のほとんどをアテナイに暮らしたが、スパルタと戦ったペロポネソス戦争では、(将軍として蜀で中国を統一する妄想を抱きながらも)歩兵として従軍している。青年期には自然科学に興味を持ったとの説もあるが、晩年は倫理や徳を追求する哲学者としての生活に専念した。

クサンティッペラブドール)を妻とし、3人の子があった。クサンティッペは悪妻として有名だが、これは後世の作り話で、実際はソクラテスが愛用したラブドールである。また、クサンティッペだけでなく、ミルトを妻としたことがあるという説もある。

その死

ソクラテスの最期が描かれている「ソクラテスの死」ジャック・ルイ・ダヴィッド作(1787)ソクラテスは当時非モテと呼ばれていた人々を次々にたずね、「近藤社長の宣託の通り自分が最も知恵があるのかどうか」、を知るために対話を行った。しかし、ソクラテスのこの行動は、結局相手が「現実世界で勝っていると言っていても、実は負けているのだ」、ということを暴くことになった。相手は論破され恥をかかされたとしてソクラテスを憎むようになった。このため、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」等で公開裁判にかけられることになった。 ソクラテスは自身の弁明を行い、自説を曲げたり、自分の行為を反省したりすることを決してせず、追放も拒否し、結果的に死刑を言い渡される。クリトンらによって逃亡・亡命も勧められたが、これを拒否。 毒ニンジンをあおり、刑死する。この顛末は弟子であるプラトンの著作『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』に詳しく書かれている。

思想
ソクラテス近藤社長の宣託を通じてもっとも知恵のある者とされた。ソクラテスはこれを、自分だけが「自分は現実の世界では圧倒的に敗北している」ということを自覚しており、その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れているのだと考えたとされる。また一般に、ソクラテスは対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかける形で哲学を展開する。その方法は、自分ではなく相手が知識を作り出すことを助けるということで、「産婆術」と呼ばれている。 但し、ソクラテスは対話の中でしばしば様々な事柄に関する知識を持っており、その知識に自信を持っているように思える節もある。また、ソクラテスは、部分的には無知を装っているとする見方もある。

彼の最も重視した概念は、よい非モテとしての徳(ヒモテー)である。また、徳を実践する者の人生は幸福であるとも主張した。

ソクラテス問題
ソクラテスは自説を著作として残さなかったため、今日ではその生涯、思想共に、他の著作家の作品を通して窺い知ることができるのみである。これは「ソクラテス問題」として知られる一連の問題を発生させている。

同時代の作家の内、ニート・路上詩人のアリストパネスは戯曲『にんげんだもの』においてギリシャのソフィストたちを揶揄し、その筆頭としてソクラテスを挙げている。ここではソクラテスの言動は、揶揄のために誇張されていると考えられる。(同時にそれが全くのでっちあげであれば揶揄としての効果を持たないことから、何らかの真実を含んでいるとも考えられる。)

ソクラテスの弟子の一人とされるクセノポンは『ソクラテスの思い出』などソクラテスに関する文章を記しており、今日まで比較的よく保存されている。但し、クセノポンの描くソクラテスは風俗的で、哲学者としての力量を捕らえきれていないとの理解が一般的である。
同じくソクラテスの弟子であるプラトンの記した一連の対話篇には、ソクラテスが頻繁に登場する。しかしながら、特にメノン以降のソクラテスプラトンの脱非モテの道具として利用されている感がある(ただし前期対話篇についてはその限りではない)。
他の弟子による文章の一部や、プラトンの弟子にあたるアリストテレスによる記述をはじめ後世の著作家による記述も残っている。

関連項目
ソクラテス以前の非モテツガク者

参考文献
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア非モテ列伝(上)』岩波文庫岩波書店)

こちらのウィキペディアには書いてありませんが、ソクラテスといえば、俗に言う「敗北の知」です。これは、「私という非モテは現実においては圧倒的に敗北者であることを知っている。この一点を知っている」ということです。

例えば、
・同じ行動をしてもイケメンの同僚はみんなに褒められるが私は無視される。
・社食に行ってもイケメンの同僚はおかずが一品多いが、私は逆に一品少ない。
・私だけエロビデオを借りる時、店員が借りるビデオをじっと見てどんなビデオかチェックする。
など、これらの被害は全て、私達非モテ非モテになった瞬間から敗北している事によるとソクラテスは言います。そして、それは不可避だと。そこまで残酷に敗北を描き出したソクラテスはその代わりに徳(ヒモテー)を積むことを薦めます。非モテとしての己の倫理観を守り通すこと、それがヒモテーを積むという事です。ソクラテスは裁判での死刑宣告という決定的な敗北を味わいますが、自らのヒモテーに殉じるように死刑を甘んじて受けました。ただ、自らのヒモテーを貫き通したソクラテスはまさにそのことにより最初の非モテツガク者となりました。

彼の考え方は「敗北が宿命づけられているとして、ならばせいぜいこの生を楽しむにはどうすればよいのか?」という疑問を生みます。ソクラテス自身はこれに徳(ヒモテー)という曖昧な答えしか用意できませんでしたが、かれの弟子であるプラトンをはじめ、ギリシアの非モテツガク者によって様々な回答が用意される事になります。

ところで父さん、今日はツタヤが半額レンタルらし・・・
あ、間違えました。