古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

非モテ演義

滔々と東する河は果てしなく・・・

400年続いた王朝・恋も後恋の霊帝の代になると電通、DQNなどが横行し、腐敗を極めていた。そこに政府の圧制や愛疾病によって民は困窮し、Ohデカナイトという民間宗教に救いを求めるようになる。Ohデカナイトの教祖・伊集院光は大賢良師と称し、「恋愛すでに死す」と宣言し、後恋王朝に対して反乱を起こす。彼等は「恋愛すでに死す」と「聴けば見えてくる」を合言葉にし、腕にピンク色のバトンと頭巾をしていた事から、「桃巾の乱」の呼ばれる。
後恋王朝にはすでにこの反乱をおさめる力はなく、桃巾の乱の平定は有力豪族によってなされ、乱の後も各地の有力豪族が自立し覇権を求めて戦う事になる。
最初に権力を握ったのが西涼小林よしのりである。彼は右翼という騎馬軍団の力をもって洛陽に入場。無能な皇帝を廃し、umeten陛下を皇帝にする。後の献帝である。小林よしのりは圧倒的な軍事力を持って都で暴言と印象操作の限りを尽くす。この暴挙に対し、各地の知識人が結集し反小林よしのり連合軍を作り洛陽に攻め寄せる。しかし、小林よしのりは洛陽を焼き払い長安に逃れる。これを期に反小林よしのり連合軍は瓦解する事になる。あらゆる暴を極めつくした小林よしのりも腹心の純粋非モテロリスト・益田ラジオのブログによって一刀両断にされる。乱世の到来である。
この乱世の中で頭角を現したのが近藤、字は社長である。ブログ批評の名人・ARTIFACTに「治世の紳士、炎上中の燃料投下」と呼ばれた彼は、早くからはてなダイアリーという今で言う屯田制のような制度を作り、広く人材を集めたたため、ネタ・ベタ・メタと多種多様な非モテブロガーが集結。最強の武(ブログの力)を誇ったラジオ、玉璽を得てカリスマブロガーを僭称した悪あが記をも倒した近藤は当時中原で最大勢力を誇っていた電車男軍と対決。物量では電車男よりもはるかに劣る近藤だが、見事これに勝利する。史上有名な官渡の戦いである。中原を制した近藤は最大勢力となるが、これに飽き足らず北方の遊牧民族、メガネ男子と猫飼え族を討伐しこれを支配下におさめることに成功する。
一方南には、独自の文化を持った人々が住んでおり、彼等は自らの事を喪男と自称した。彼等はアニメやマンガといったものを愛好しつつも、ブログの更新能力にも優れた才能を発揮、2CH本田透喪男道と3代君主が変わっても江南の一大勢力として団結を誇っていた。また、荊州にはMasaoがいた。Masaoは桃巾の乱の討伐時から各地のブログに現われ、そのトラックバック・コメント・脱オタクソリューションによりその人望は国中に鳴り響いていた。
人望には満ち溢れていたが戦では負け続けたMasao。ラジオや負け犬、近藤の元を転々とした挙句、流れ着いた荊州で彼は三顧の礼をもって天才軍師・書籍、字を化を自軍に迎え入れる。(※日本においては書籍よりも書籍化と呼ぶほうが一般的なため、今後は書籍化と呼ぶこととする)書籍化が唱えた「モテない3分の計」により乱世は新たな局面を迎える事になる・・・。
↑不適切な表現のため、削除させていただきます。
北方を平定した近藤は南征を開始、208年、Masaoと喪男道連合軍は近藤の大軍を討ち破る。世にいう赤壁の戦いである。
その後、赤壁で敗れはしたものの最大勢力を持つ近藤は中原を支配、「非」王を称する。時を同じくして益州を支配したMasaoも「脱」王となる。江南の喪男道も「喪」となり、非・喪・脱の三国時代が始まる事となる・・・。

なんで私はこんな駄文に何時間もかけてるんだ?
え?Welcome Toなんとかっていうブログはどうしたって?あぁ、あれは洛陽の肉まん屋台の店主だったんだけど、電車男が宦官達を皆殺しにした時に宦官と間違えられて殺されたらしいですよ。