古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

戯画化されたヤリチンは非モテのものか?

昨日のエントリでさらっと触れたので意外な反応があったのでまとめて書きます。
いや、私が極道の妻なんかを絶賛するのは北方謙三先生を絶賛するのと同じ様な事です。つまり、いききったヤリチンはネタとして面白いという。
あと、こういう、漢(おとこ)達の話って好きでしょ、非モテって。ここが三国志とかいわゆるハードボイルドみたいなものが非モテに好まれる理由だと思うんです。その物語の担い手がヤクザか探偵か英傑達かっていう違いはあるけれど、物語に「熱さ(濃さといってもいい)」を求めるでしょ。なんでか知らんけど。「極道の妻たち」ってめちゃめちゃ「濃い」でしょ。俳優達の脂ぎりぐあいもそうなんだけど、台詞から雰囲気から全てが濃いんですよね。で、例えば20代のヤリチンなんかはそれを見て「つまんねぇな」ってこれだけでしょ。で、月九の方がいいや〜なんて。最低最悪。
そこで20代の非モテはそこに面白さを見出してしまうんですよね。梅宮辰夫*1なんかの脂ぎり具合もいいアクセントだと思えてしまう。
で、翻って自分の姿を見たときに、ガンジーばりの非暴力主義(非暴力主義っていうか、喧嘩が弱いって事なんですけど)だという。このギャップがいいと思うんですよね。明らかに矛盾しているんですけど、なんか、こういう(自分も含めて)非モテのありようを私は「すこしよい」と思っている。

*1:娘は最悪。

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