古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

非モテにソリューションは必要か?

マジメな話。今日は非モテと現実世界との関わり方について。


非モテにソリューションは必要なのだろうか?
「必要に決まっているじゃないか!これだから当事者属性のない人間は・・・」という声が聞こえてきそうだが、本当にそうだろうか?


ちなみに、ここでソリューションというのは、一体何なのだろうか?どうしたら非モテは「解決」できるのか?そこが不明確(というより人により違う)なところからしてかなり怪しい話だと思うのだが・・・*1


http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20051223/1135340165
シロクマの屑篭より

脱オタクファッションガイド』や『電車男スタイリングバイブル』を非難したひとのなかには“お前ら俺達のコンプレックスを刺激しないで、なおかつ馬鹿にされない服装を提案しろ。それも出来るだけ低コスト低努力でな!”と無茶無体なことを期待している者が混じっているような予感がするのだ。

要するに非モテを解決するには努力が必要だと。そう、ソリューションには覚悟と努力が必要なのだ。おそらく、その努力と引き換えに得るものもあるけれど、失うものもかなりしょうもないものだけど、ある。それでもソリューションを実行したいっていう人間に対してのみ、ソリューションは提供されるべきだ。
ところで、私も、シロクマさんの言うとおり間違いなく上記のような人間がいると思う。そういった人間は「怠惰な非モテ」として排除されるべきなのだろうか?私はそうは思わない。私は、この無根拠なわがままぶりこそ、非モテ非モテである由縁だと思うからだ。
明らかに無茶なんだけど要求してしまうという。「赤い服を着てる女はヤリたがってる!!」みたいな荒唐無稽な女性論に通じてるとおもう*2
そういう人間は、(現実に実行可能な)非モテソリューションなんて考えたくないはずだ。そんなものが提示された瞬間、「怠惰な自分」というものを責められるんだから。


だから、思い切って「非モテを語ること」と「非モテにソリューションを提供する事」を明確に分けてみたらどうだろうか。
私のように非モテをフックにおもしろとかルサンチマンを書きたい人間にとって、その解決策を真剣に提示し、あまつさえそれを元に論争がおこったりするというのは、苦痛だ*3。また、ソリューションを提示したい人間にとって、いわゆる非モテ界の論争だとか揉め事に参加し、ジャッジするのも労力のかかる話だろう。


非モテの読者だけをとっても、その共感できる仲間だったり、叩きたい敵を見つけたい(つまり、ソリューションを必要としていない人間)と、とにかく現状の自分を何とかしたい人とがいるんだから、そういう人にとっても概念を明確に分けたほうがいいだろう。ベルリンの壁みたく全く断絶しろというわけではないが、明確に別の概念ということが共通理解としてあれば不毛な争いはずいぶんなくなると思う。
そして、非モテ批判の常套句=非モテなんて努力しないやつがほざいてるだけだろって奴。これなんもわかってない腹立つ話なんだけど、これに反論できるでしょ。ソリューション派は「俺たちは努力してる」って言えるし、非モテ語り派は「俺たちは現実でどうこうしようなんて思ってない」って言える。
如何でしょうか?

*1:人によって、ゴールが違うのなら、それこそ解決策は人によって違うという事になるだろう

*2:こじつけ?

*3:だからといって、猫を飼えなんていうことを言うつもりはないが・・・。