はてヒの「ユルく繋がる」
恐らく誰からも望まれていないであろう、はてな非モテ=はてヒ論。
まず、こちらをご参照ください。
http://www.doutei.com/blog/archives/200212/11-2333.php
かなり有名なので、既読の方もいらっしゃるかと思います。伊集院×みうらじゅんということで、さすがの深いお話ですね。
みうら 「ロフトプラスワンってちょっと共同体みたいなところがあるじゃないですか。集団になると童貞は薄くなるんだよ。僕、高校の頃は一人だったから。一人でくだらない歌を作って、一人でカセットを録って、一人で聴いてたから、どんどんディープ童貞になっていってて、今そのカセット聴いたら爆笑なんだよ。ものすごい恥ずかしい事でも、人と交わって、喋ったりすると薄れていっちゃうからね。」
──平均になっていきますからね。
みうら「そうそう。だからそこからは行き過ぎた、強烈なキチガイに近いヤツは生まれないんじゃないかな。(中略)引きこもりを賛美するつもりはないけど、後で最大の笑いが来るのは一人でやってるヤツだと思うけどね。だからある意味ロフトプラスワンの大罪はそういうディープな童貞をなくしてることだよね。そういう所に集まることによって、「俺は一人じゃない」「俺は病気じゃない」って安心できるじゃない。だからリハビリセンターだよ、ここは。本当に童貞をこじらすためには、そういう所には行ってはいけないよね。」
前にも書いたんだけど、「『真の非モテ』はブログなんか書かない」って所ですね。「真の非モテ」は今日も一人で童貞をこじらせている。こういう意味では私なんかも含めていわゆる非モテブロガー(HP作ってるとかってのも含む)ってのはある意味みんなニセモノです。
で、その中でもはてヒってのは特にニセモノな訳。そのニセモノだというのを引き受けた上で、何か面白いものを作っていこうとすることがはてヒの存在価値だと勝手に今決めました。先の神々の対話における、「ロフトプラスワン派」と「一人で部屋で体育座り派」がいたら、はてヒは確実に前者な訳です。
私のような、「素晴らしい人々」への違和感があってしまう人間、それは恐らく中二の時に、蛇にそそのかされて林檎を喰った事によって背負わされた原罪だと思うのですが、そういう人間が、何とか世間様で生きていさせていただくためには、それなりに工夫やリハビリ施設が必要で、それが「ユルく繋がる」という事なのではないかと。敗北者でかつニセモノな人間にはそれを元になんかかんか自分が面白いと思うことをやるしかないのかなと。で、そんな自分の好きなことだけやることでモテればかなりハッピーじゃないかと、そういうことを思うわけです*1。
まぁ当事者性のない人も少しは大変なんですよ、というお話です。
しかし、あの神二人は学生時代一人オールナイトニッポンやってたりしててすげぇなぁ。私もまだまだ全然できてないですね。私も「ロフトプラスワンでクリルタイラジオ公開放送→誰も来ない→引きこもり」ぐらいやらないとダメですね。
*1:何が何でもモテる事を拒否するべきかっていうのは微妙な話になってくるんですが・・・