童貞歌姫論
今日は、非モテはどんな女性アーティストが好きかっていう話です。
そのスタートは当たり前のように私が言うところの自作自演系アーティストの話なんですが、その前に前提を一つ。
非モテ男子にとっての女性アーティスト*1とは性的存在以外の何者でもない。
という事です。つまり、そのアーティストのいわゆる「音楽性」が優れているから好きなどではなく、ルックスや佇まい、かもし出されるイメージによって妄想するための存在であるということです。こんなアーティスティックな子が彼女になったら・・・、こんな子が俺の為だけに歌を歌ってくれたら・・・○○なことしてくれたら・・・恐らく妄想のネタはグラビアアイドルのそれよりもはるかに多いと思います。で、それこそが私がこの事にこだわる理由なのだけども*2、私が言いたいのは、スミスやサンボマスターがいわゆるモテない層(男)に受け入れられるのと一青窈が受け入れられるのとは全く別だという事です。
前段はお解かりいただけましたでしょうか。ちなみに、自作自演系っていうのは全く私の造語なので、ちょっとわかりにくいんですが、なんちゅうか女性アーティストで非常にアーティスト性と自意識がお高くいらっしゃる方々いらっしゃいますよね。そういった方々の総称です。名前はともかく、ここを1グループに括るのには違和感ないと思われます。
では、今回最初に取り上げるのは当然これ。
- アーティスト: Cocco,こっこ,根岸孝旨,成田忍
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2001/09/05
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(通して聴いてみての感想:こわいよ〜)
このブログではお馴染み、自作自演系の開祖Coccoさんですね。
いつまで何のために?
いつまで誰のために?
はれ上がる頭をかかえて
どれだけ崩れ落ちて
どれだけ血を吐いても
答えなんかどこにもなかった
(中略)
独りにしないで
独りにしないで
(Way Out)
こんな歌詞をハードロックに載せて歌うような女の子は間違いなく好きでしょう。非モテは。この辺のスミス的なネガティブさは間違いなく非モテの好物なんだから。しかも、それを歌っているのが女の子なんだから!
しかし、スミスと違うのは、ハードロックにこんな歌詞載せて歌うもんだから、余計に切迫感があるというか、怖いんです。スミスは歌詞自体は「アレ」な感じですが、音自体はポップといっていいものなんだから。
で、この辺が童貞歌姫としてのCoccoの限界でもあるわけです。つまり、ネガティブはネガティブで大好物ではあるんですが、それがあんまりにもマジっぽく感じ*3てしまうのでヒイてしまうというところです。この辺が結局CoccoがOL(負け犬?)の定番ソング*4になって非モテたちのモノにならなかった理由でしょう。
で、次に挙げるのは、椎名林檎さん。
- アーティスト: 椎名林檎,亀田誠治,川村“キリスト”智康係長,森“グリッサンド”俊之本部長
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1999/02/24
- メディア: CD
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(聴いてみての感想:「茜さす〜」は結構いい曲だと思います)
Coccoが「マジで刺されるんじゃないか?」って怖さを感じてしまうのに対し、椎名林檎の場合は、それなりにネガティブかつ自意識過剰なんですが、ガチで怖いとは思わないんですよね。それは普通のロック(受け取る側の認識としてはポップスといってしまってもいい)だからかもしれませんが、Coccoがバーリトゥードだとしたら椎名林檎はプロレスみたいな。そんな安定感があります。
しかし、椎名林檎にはCoccoにはない童貞殺しの必殺技があります。
「Coccoよりはまともなフェイス」って言った人、誰ですか!私はそんなことは一切思ってないですからね!
それは「本物感」と「一途なあたし」というテーマです。
違う制服の女子高生を眼で追っているの知っているのよ
斜め後ろ頭ら辺に痛い程視線感じないかしら
そりゃあたしは綺麗とか美人なタイプではないけれどこっち向いて
(ここでキスして。)
椎名林檎の歌詞ってほんと普通のラブソングだなぁって思うんですけど、デティールの作り方が凄いんですよね。カップルをカート・コバーンとコートニー・ラブに例えたり、さらっとベンジー=浅井健一を登場させたり、舞台が歌舞伎町だったりと上手い感じで「本物感」を忍ばせてくるわけです。そして、歌に出てくる女の子っていうのは大抵一途に男を思ってるんですよね。ほんとこういうのって現実には絶滅種なような気もしなくはないけど。当たり前だけど、非モテって女の子が追いかけてくれる方がいいわけです。こっちは追いかけ方を知らないんだから。
この「本物感」意味では椎名林檎の歌っていうのは童貞歌姫としての一つの到達点ではある。当時のロッキンオンジャパンなんてホント酷いですから。椎名林檎への熱狂ぶりが。
あれはホントなんだったんだよって感じ。
で、私は椎名林檎に対する熱狂には非常に冷ややかだったわけですが、この人に関しては非常に熱狂せざるを得なかったわけで、鬼束ちひろ。
今となっては相当に恥ずかしいのですが、むっちゃ大好きでした。
繰り返しになるのでくどくどは語りませんが、おそらく歴史的に見ると鬼束ちひろがCoccoの正当な後継者という事になるのでしょうが、彼女が偉い(?)のはピアノメインの構成で癒しとかイージーリスニング的な要素を加えて間口は広げつつも、歌詞の電波度はむしろ上げていったところでしょう。電波っていうよりも意味不明。意味不明なんだけどよくよく聴いてみると怖い内容だったみたいな。あとはここにいたりルックスも整備され、歌姫の童貞殺しぶりはいよいよ極まるわけです。
誰か言って
激しく揺さぶって
「もう失うものなどない」と
独りにしないで
どうか夜が明けるなら
私を現実ごと連れ去って
下さい
「Cage」
想定外に長くなってしまったので、ここからは短めにしますが、鬼束ちひろの後の童貞歌姫ってのは歌詞やサウンドだけなく背負った物語の量を競うようなりました。例えば一青窈や元ちとせがいわゆる「異境」出身であるところだとかそういった事であり。私はそのうちヘルス嬢上がりの歌姫とか女傭兵上がりとか狼に育てられただとかそういう歌姫が出てくると確信しているわけですが、楽曲や歌詞もさることながら、それこそダヴィンチの表紙になる*5ような、そういった活動がより一層求められるわけです。
一方で、もちろん非モテたちは一青窈のみを脳内彼女としているわけではありません。
ということで次回に続く。(かも。ちなみに、もし続いたらaiko、bird、paris match、Cymbalsあたりを取り上げる予定)