古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

歴史で見るブログ

ある一部の人だけに元ネタがわかるタイトル。
上のエントリでも取り上げたんですけど、ブログ本とかって、凄いいっぱい出てるんですね。でも、大体その内容っていうのは、あるカリスマブロガーを取り上げて、「アクセス数を増やすには?」とか「アフィリエイトで稼ぐには?」を学ぶという、「○○に学ぶ〜」系の内容なんですね。


ここで、いきなり歴史学の話をします。
昔の歴史学っていうのはやれ、ナポレオンがどうしたこうした、ヒトラーが、スターリンが、チャンドラグプタ2世がどうしたというような英雄達の事跡を辿るようなものでした(これを、人物史といいます)。今でも、歴史っていうとそういうものだと思っていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、今の歴史学っていうのはそんなことやっていなくて、極論すると人物史の出番といえば、駅の売店で売っている「戦国武将に学ぶ経営学」とか、週刊ダイヤモンドの特集でのみ、用があるわけです。
さっきの話で言うと、こうです。「鬼嫁日記」がどうとか、「悪あが記」がどうとかこうとかっていうのはまさに人物史、こういうのを取り上げてブログ術を学ぶブログ本ていうのは、ちょうど、駅の文庫本とか週刊ダイヤモンドの特集な訳です。


で、人物史の後で歴史学っていうのはシステム的な話をするようになりました。皆さんもよくご存知、唯物史観です。詳しい話はウィキペディアに譲りますが、ブログ界でも、同じことがおこると思うんですよね。つまり、唯はてな史観。これは
ライブドアや楽天といったブログでは資本家(三木谷や堀江容疑者)と労働者(ブロガー)との対立関係から必ず革命がおこり、全てのブログはWeb2.0であるところのはてなに集約される」
というブログ観。必ずこういうブログ観に基づいた本が出るに違いないと私は予言しておきます。だって、もうすぐ出るんでしょ。マルクスエンゲルス、いや、違った。近藤さんと梅田さんの本が。


ところで、この唯物史観っていうのは、ある「こうあるべき」ゴールを設定し、それに基づいてストーリー=歴史を描くという事で今は割と評判が悪いんです。つまり発展段階論の否定ですね。で、今の歴史学っていうのは人とモノとの交流や、地域同士の関係なんかを研究するのが主流です。それが世界システム論だったりするわけですが、これはブログで言うところの、ブロガー同士の交流とか、争いの事でしょう。
例えば、「はてブで始まった純愛!」=ブログ男みたいな。それだけでなくて、例えば、ブログを通じて出来上がったコミュニティ=東京ブロガーでもいい女塾でも何でもいいんだけど、そういう人たちがこういう事しましたとか、もっとはてな的に言うと、喪男道とゲームセンターのブログが喧嘩した、炎上した、河原で殴りあった後で2人大の字になって寝そべったみたいなストーリーを記述した本が面白がられるんじゃないですかね。


じゃあ私がリュシアン=フェーブルになりますよ。
↑またマニアックな事言って…。