古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

「ひもてのほん」はなぜできないか

別に大したことを書くつもりはないんだけど、ひもてのほんでも非モテレビでも何でもいいんだけど、どうしてできないかって言うと、まだこういう概念ができてから時間があまりないということもそうなんだけど、多分非モテっていうのが人からお金をもらう水準までいっていないからなんだろうね。非モテの本ができても多分赤字だろうからということなんですよね(だから同人誌でも作るかという所でもあるわけなんですけど。)。
ただ、昔のユリイカ*1の「オタク対サブカル」でも少し触れられていたんですが、もう、多分オタク対サブカルっていうのは対立軸としてガチじゃないんですよね。よくブログでDisられるサブカルとかオタクっていうのは、まぁエクスタシーをキメた時に出てくる幻覚みたいなもんでしょう。むしろ今ガチなのはモテ対非モテ=モテオタク・サブカル対非モテオタク・サブカルっていう対立なんですよね。これは文化系の中での連合軍同士の戦いでもあるし、各コミュニティ内部での戦いでもある。これが本当なら凄い鉱脈な訳でしょう。文化的に。それこそユリイカどころかSPA!あたりで「スパ世代の非モテ」とかプレイボーイで「僕らの非モテ」とか特集されても全然不思議ではない。でも、今のところこんなことを言えるのはインターネットの中でしかないんでしょうね。
今の非モテにもしも何か優位性があるとしたら、それは論争に加わるコストがむちゃくちゃ低い事だと思うんです。
ブログやるのは実質コストはないし(「更新する手間」はあるかもしれないが…)当事者性とか言うけど、別に、ブログを書いているあなたのところに「こんにちは〜はてなで〜す。当事者性のチェックに参りました〜」と来るわけではないし、結局当事者性は自己申告=実質誰でも参加できるわけです。これが例えばサブカルだったら、アレでしょう。読みたくもない社会学の専門書を買ったり、いいかどうかもよくわからない昔のロックの名盤とかを聴かないといけないわけですよね。
非モテっていうのはそんなことはしなくていいし、今のところ自分の好きなことをかける。しかも何のコストもかけずに。これはひもてのほんができないことによる利点なんですよね。多分。
要するにひもてのほんができないのはいいことでもあるし悪い事でもあるという事ですよね。

*1:そういえば、全く関係ありませんが、前回の非モテオフの時、マスターラジヲが「関西にはユリイカなんかない」というようなことをおっしゃっていて笑った。