古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

はてな村博物誌3「断片帝国衰亡史」


天は何も語らず歴史をして語らしむ


かつて、この世界、はてな世界に一つの帝国がありました。断片部帝国。世の人は、その帝国に敬意を払い、こう呼びました。「断片帝国」と。断片帝国ははてなユーザーの5分の2、3万ユーザー、アクセス数は4億から5億を誇っていましました*1。そして断片帝国による支配を後世の歴史家はパックス・フラグメントと呼びます。

断片帝国はなぜ世界帝国になったのでしょうか。
直接的にはビットバレーでのはてなグループの発明によるコミュニケーション革命によります。しかし、コミュニケーション革命がなぜ、このタイミングで、この場所で起こったのかは後世の歴史家の議論の的になっております。
断片帝国の支配が特殊なところは、それが2重ブログ支配を伴ったものであること、これに尽きます。
つまり、公式ブログ=本家ブログと非公式ブログ=断片部のブログの2重支配です。
公式ブログは、まさに本家であるために責任や衆人の目の伴ったものである一方で、非公式ブログがそういった負担が伴わず、クネクネに代表される特殊はてな的なコミュニケーションが取れる。もちろんそれが自由参加による(他のグループに比べての)圧倒的な登録ユーザー数によって成り立たつものである事は論を待ちません。
また、2重ブログ支配の視点は後の歴史家によってホッテントリ(郷紳)とアクセス中心地、はてブによる優良エントリの囲い込み、いわゆるはてブ資本主義にも受け継がれました。


さて、そんな断片帝国に一つの事件が起こります。断片帝国の一部、喜望峰にあるゆとり植民地がこの舞台です。
ゆとり植民地に一人のアイドルがいました。タル・ドールです。


「ジェイコンドは世界地図が、より多く青色に塗られる事を望んでおられる。出来る事なら私は、夜空に浮かぶ星でさえもアイドルになりたい」
という言葉で有名なタル・ドール。彼が近隣のアルファ共和国に乗り込み、オフ会を開いたことから事件は起こります。まず、オフ会自体が非常に微妙な形になった事、これが第1次ゆとり戦争です。そしてアルファ共和国から反撃が起こります。いわく「オフ会リテラシが低い」。いわく「無残」。遠く離れたモンゴルの地からは「ラジオつまんなくないか」といった人もいたりいなかったりしたそうです。戦場をブログ件に移して起こったこの戦いが第2次ゆとり戦争です。戦争自体はゆとり共和国の一方的な攻撃で短期間のうちに終結しました。しかしアルファ共和国は先制攻撃だけしてどれだけ攻撃されようと、いつもと全く変わらずエントリを更新しつづけた事は特筆されるべきところです。もう一つ。このゆとり戦争に従軍記者として参加し一躍有名になったのがW・チャーチルだというのも注目するべきところです。
そして、断片帝国には平和が戻りました。


未来に起こるかもしれない話をしましょう。
2度の世界大戦によって断片帝国はその支配力はほとんどなくし、多くの独立国の緩やかな本当に緩やかな連合体になりました。それは悲しむべきことかもしれませんし、歓迎すべきことかもしれません。
後世の歴史家はいいます。あのゆとり戦争は断片帝国の「終わりの始まり」だったと。
ゆとり戦争の時のあの従軍記者、チャーチルが世界大戦の時にはなんと首相として戦争を指導しました。しかし、彼女いや、彼は断片帝国の破産管財人に過ぎなかったと言われます。

(この項、了)
イギリス帝国 - Wikipedia
非公式帝国 - Wikipedia
ボーア戦争 - Wikipedia
セシル・ローズ - Wikipedia

*1:当然ながら、この数値は嘘です。ウィキペディア「イギリス帝国」の記述に従いました