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古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

ぼくのてんかこっか(「美しい国」が生まれる時に)

DT

※自分語り、自意識、ルサンチマン、自己陶酔が多分に含まれております。用法・用量を守って正しくお使いください。


こうこうせいだったあのひ、ぎふのあのあついひのはなし


はてなのリベラルで頭の良い方達にとっては失笑ものかもしれないが、高校生のころ、ぼくのバイブルは「ゴーマニズム宣言」だった。きっかけは岐阜新聞で「韓国様に文句つける最低の漫画家」っていうアングルで新・ゴー宣が紹介されていたこと。しかも、あのおぼっちゃまくんの作者が!予備校の帰りに、自由書房という岐阜でも大きめな書店によって新・ゴー宣を1冊買ってみた。読み出した。次の日には残り全巻を買いに行っていた。
ずいぶん頭の悪い話だが、それはぼくにとって初めて僕みたいな人間にもわかる言葉で書かれた思想書だった。

新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論

新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論


新・ゴー宣はもちろんだが、「脱・正義論」は本当にぼくにとって特別な書だった*1。あの「弱者こそが権力」という視点とと運動の強烈な成功体験と挫折。
ぼくは相も変わらずぱりぱりの童貞だったし、周りのみんながやっている高校生らしい事は何一つできなかった。相変わらずバカにされてた。それでもぼくから見える世界は変わっていた。大丈夫だ、ぼくにはゴー宣がある。周りでバカ騒ぎしているあいつらこそが国家の危機的状況を何もしらない哀れな豚どもなんだ、そう信じていた。


大学に入った。人に言えるような大した大学ではなかったけれど史学科に入れたのがなによりも嬉しかった。東京に出てきて、一人暮らしをはじめた。
それでもぼくはアパートの一室で相変わらず天下国家を憂い続けていた。ゴー宣の他にもサンプロや朝生ももちろん見ていた。一つだけ変化があった。それは歴史学を学んだ事。
ぼくの大学の時の指導教授にはいまでもとても感謝をしているんだけど、その人の最初の授業で、半年かけて西洋の軍事革命について学んだ。新大陸発見から始まる大航海時代とそれと同時ぐらいにマスケット銃とイタリア式築城術が使われるようになるんだけど、同時に戦争の仕方が大きく変わる。簡単に言うと戦争に動員される人員の数が飛躍的に増えるという話なんだけど、たったそれだけの事によってヨーロッパの国々は政治の体制ごと大きく変わるという話。そしてそれに対してアジアやアフリカの国々はどう対処したか、そして日本の鎖国の意義とは?
それはぼくにとって初めて「歴史学」に触れた瞬間だったし、「知的興奮」というものをはじめて覚えた瞬間だったと思う。「痴的興奮」はいつも覚えていたけど。


入学して初めて知ったことだったんだけど、うちの大学というのは結構な右翼の大学だった。なのでやっぱり授業にもそれっぽい人がいた。講師が左な人だったとき、その人もそれなりにイタいひとだったんだけど、右翼な人たちはその左の人をやっぱり食って掛かっていた。で、左な講師のファンらしき学生と揉めたりしていた。その時の右翼な人の論理というのがどっかで聞いたことあるな、と思ったら、ぼくのバイブルの意見そっくりだった。多分右翼な人もぼくと同じく、聖書を読んで、感動して、オルグされた口なんだろう。でもその時のぼくは何も感じなかった、むしろその右翼名人たちを疎ましいとすら感じていた。


程なくして、ゴー宣を読まなくなった。特に理由もなく。
相変わらずどうしょうもない、社会の最下層の人間だったのは間違いなかったんだけど、友達とくだらない話を何時間もしたり、酒を飲んだり、CD買ったりしだした。もちろん本も読んだ。ブローデルももちろん読んだし、「近代世界システム」や「ジェントルマン資本主義の帝国」も読んだ。山形浩生に出会ったのは彼のクルーグマンの訳書だった。内容はもうあまり覚えていないんだけど、本を読むのは楽しかった。やりくりはしていたけれど、金が足りない。今まで以上にバイトが忙しくなった。
ぼくはバイブルを押入れにしまう事にした。


あれはなんだったんだろう、と思う。
ただ、ぼくのバイブルが言うような英雄達や武士道って一体なんなんだろう、と思う。英雄や武士道って結局妄想か、オナニーじゃないのか。少なくともぼくはそういうことを言う人は眉唾ものだと思っている。
歴史を勉強してきて一つだけ間違いないと思ったのは、昔の人間だってそれなりにバカだし、合理的だし、卑しいし、卑怯だった。
ぼくは「上からの歴史」を否定するつもりはない。三国志を見ればわかるけど、英雄達が相争う戦国絵巻というのもそれなりに楽しいものだ。
だけど、歴史は、歴史学は「美しい国」を作るためにあるんじゃないんだ。もちろん、「平和で憲法を守る国」を作るためにあるわけでもない。いつになったら歴史はそういうくだらない言い争いから解放されるんだろうか。
歴史って面白いんだ。だから自由に、ぼくらの知的好奇心を刺激するものであって欲しい。


なんかリベラルな人みたいだ。まぁしょうがねぇか。

*1:正直に言うと、今も結構影響を受けている

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