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古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

開かれた/閉じた門戸

妄想

ハチミツとクローバー最終巻読みました。一緒に付いてた読みきりマンガ(空の小鳥(?)の方)がえらく面白いなぁって思いました。ストーリー自体はう〜ん、なんというか…。ネットなんかでは結構異論反論オブジェクション出てるみたいですね。

ハチミツとクローバー 10 (クイーンズコミックス―コーラス)

ハチミツとクローバー 10 (クイーンズコミックス―コーラス)


ネタバレなので詳しくは書かないけどまぁ恋愛とクリエイティビティどっちかって言われたらクリエイティビティを取りますよ、という結論だった。羽海野チカ先生はこの辺の「クリエイティビティある/ない」みたいな話が大好きなので、この結論はまぁありえるなぁと思いました。


ただね、そういうのってなんなんだろうな、と思います。結局才能のあるなしなのかよ、って。


クリエイティビティ云々とかってだいっ嫌いなんですよ。「なんだよそれ、美味いのかよ!」って思います。「くりえいてぃびてぃ」ってなんか凄いもやもやしてて、何の事をいっているのか良くわかりません。
以前、クソタイの公開録音の時に、竹熊先生が言っていたのは「ホントにクリエイターになるような奴はほっといてもなんかやりだすからほっとけばいい」みたいな事言ってたけど、そういう話なのかな。う〜んよくわからん。
でも、こういう「モノを作る意思」みたいなものはクリエイティビティとイコールなのかどうかはわからないけれども、意外とバカにしたものではなくて、今後結構重要なものになるんじゃないですかね。


と、いうのも、Web2.0、いや、2.0別につかなくてもいいんだけどウェブの世界の進展によって、才能のあるなしではなくて意思のあるなしになるのではないでしょうか。今までだと、才能があってある程度のレールに乗っている人たち、その間での争いでした。音楽にしても、評論にしても。結構閉じた、狭い世界での争い。
でも、ブログにしても何にしてもどんどんツールができてきているじゃないですか。惑星開発〜の人だとか、ネットの宮台真司をバカにするんだけど、「学歴」要は既存のアカデニズムのレールに乗った人間(そんな人毎年何年もいないだろう)しか宮台真司になれる資格がないのとツールとそれなりのクオリティを持った人皆が宮台真司になれる可能性があるのとどちらが良いのかっていうと私は間違いなく後者だと思います。まぁもちろんその質は問われてしかるべきものなんだけど、その仕組み自体と、「自称・宮台」の書くレベルが総じて低いのとそのくせに天狗になるというのは全く別の問題だと思うんですよ。
何にしろ、門戸が狭いよりは広い方が間違いなくいいはず*1。で、今後の動きというのはいろんな人たちがぶーぶー言おうが何しようが、門戸をどんどん広げていく動きになると思うんです。例えば音楽、例えばマンガ、例えば文章。そういう時に必要になるもの、それはそれをやろうとする意思なのではないのでしょうか。その意思さえあればその質なんて考えなくていいんじゃないかなと思います。それは受け手が判断してくれるでしょう。純粋にアクセス数なりなんなりで。もし、「つまんねぇ」なんて言ってくる人がいたら、「お前に見せるオナニーはねぇ!」って言ってやればいいんだ。オナニーが人に見せられるものかどうかなんて気にしないでいいんだ!それは見た人たちがそれぞれで決めればいいんだ。

*1:余談ですが田原総一郎とかマスコミの人がブログとかそういうのが嫌いなのは、いろいろ理由があるんだけど、究極的にはこの狭い世界を広げたくない、要するに自分達が属している世界をでの競争を激化させたくないという意図が働いていると思います

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