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古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

「日本中の「ネットの」宮台シンジ君たち、殻の中から出てくるのだ!」の巻

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=403
『ブログ』と『オーマイニュース』と 市民権を得た社会派さん


み(峰なゆか*1):なゆかは思うんですけど、社会派さんって頭の中に理想の社会像がバッチリあって、それに恋してるような気がするんですよね。
か(カンパニー松尾*2):ロボットのミトモちゃんが言う「文化系ニート」に近いな。文化系ニートとは半端な学歴の落ちこぼれ。小林よしのりは『脱正義論』で「さらばだ個の連帯は幻想だった」と書いてるね。
み:論壇キャラとかゴー宣とかにその社会像を投影するのが萌えだ、っていうことですよね。松尾センセェはどう思いますか?


か:ギリシア神話にこんな話があるの。キプロス島の王ピグマリオンが自分で作った社会派同人誌に恋して、「どうかこの同人誌が岩波書店に届きますように」と祈ったら、愛と美と性の女神アフロディーテが願いを叶えてくれて、その同人誌が岩波に届けるすることができた。これが社会派層が夢想するサクセスストーリーの極地だね。
み:ギリシア神話って紀元前のお話ですよね!? たはは、そんな昔から世界には岩波書店があったんだにゃあ…。
か:でもピグマリオンの夢が実現することはありえない。だから神話なの。ギリシア人は誰もこの夢を追わない。
み:そ、そうですよね(って、なゆかの立場はこの際考えないことにしよっと…)。


か:論壇デビューには人間関係があるの。たとえばコネや学歴にも肯定面と否定面とが表裏一体あって、それらが合わさって論壇になってる。人間関係もそうで、ゴマすり、揉み手…全てを含めて初めて現実の論壇が成り立つ。学歴とコネが論壇の不可欠の部品だと理解することが、全体性に開かれた態度なの。全体性を踏まえて理想を目指すのが本来あるべき形だよ。ところがサクセスにおける論壇レビューは全体性と何のつながりもない。「理想の論壇村ならこんな僕でも認めてくれる」って、現実にあり得ない「承認幻想」なの。


み:「こんな僕でも」ってなんだかネットの宮台真司っぽいにゃあ。
か:その通り。遡ると、80年代に流行した、ポストモダンと呼ばれるお遊びがルーツだね。性愛が急に自由になってどうしていいか分からなくなったコが「ポストモダン」にすがった。でも、女のコが合コンでの哲学トークに慣れた00年以降は、「こんなに頭のいいあたしがバカどものせいで…」という承認幻想は幼児向けだけになったの。この性別を入れ替えたのがネットの宮台真司。ところが女のコは3年で承認幻想から卒業したのに、男のコは10年しても卒業しない。幼児向けの紋切り型を追求し続けて、現実の社会を「理想と違う」と批判するわけ。
み:そういえば、ネット右翼ネット左翼って前にどっかで見たようなものが多いんですよね(って、またしてもなゆかの立場が!)。
か:幼い頃に刷り込まれた紋切り型の成功体験を刺激されるのが「サクセス」だから。それが以前このコーナーで言った「データベース的消費」(東浩紀)なんだ。


み:さっきネットの自称・宮台の話が出ましたよね。ネットの宮台真司とはちょっと違うけど、もう10年以上シリーズが続いてる『ゴーマニズム宣言』はどうなんですか? 特に、20代以上の社会派さんたちはゴー宣で洗礼を受けた人が多いと思うんです。
か:ゴー宣で決定的なのは小林よしのりっていうキャラだね。彼は正義の味方じゃないし、最初は戦う意味さえわからない。見る側が「不安な僕」を投影できる全く新しいタイプのキャラだったの。その意味でネットの宮台真司のご先祖様に当たるわけだ。
み:よしりんって確か下品な駄洒落が好きなお坊ちゃまって設定でしたよね。
か:そう。見る側は、完全無欠のヒーローじゃなく、僕と同じような下品少年よしりんに自分を投影することで、ゴー宣を通じて自己承認が得られたの。


み:そっかぁ。ゴー宣とネットの宮台ではラストまでの流れが全然違いませんか?
か:ゴー宣よしりんの成長物語。他方、ネットの宮台は「こんな僕でもいいんだ」で、自称・宮台には何の成長もないし、社会ともつながらない。唐突に自己承認を獲得するだけなの(自己承認の獲得を成長と呼ぶ言い方もあるけどね)。僕は憐れだと思うよ。「こんな僕でもいいんだ」って思った瞬間、試行錯誤に乗り出す必要は免除されちゃうから。生身のコとつきあうには「こんな僕じゃダメ」という修行が不可欠なのになあ。
み:殻の中にこもっちゃうみたいですね…。ともかく、ブログの発明から何年も経って自称・宮台さんの数はものすごく増えましたよね。


か:ブログツールが溢れて、自称・宮台が住みやすくなったね。『終わりなき日常を生きろ』がヒットし、「まったり革命」なんて言葉も一般化して、世間的に社会派が承認された。宮台の本も売れたし。だから自称・宮台の間に「こんな僕でもいい」って感覚はますます広がった。その分、岩波書店から遠ざかるんだけどね。
み:社会派さんが市民権を得たってことですよね。この前、話題の渋谷センター街を「フィールドワーク」してきたんですけど、援助交際少女たちがすごく生き生きしてて、「これはこれでいいことなんじゃないかな?」なんて思っちゃいました。ちなみに、宮台真司は「写真撮らせてください」なんて声かけられちゃって、ちょっと嬉しかったり…テヘヘ。


か:あのね、今の状態は間違った安定だよ。男のコはブロゴスフィアに自足して、女のコはコミュニケーション能力が高い少数のフィールドワーカーに群がる。「自分は第二の桜井亜美」っていう女のコが激増したでしょ。どちらも「これでいい」と思っていて、両方の間に回路が開かれない。それって間違ってない? 本当は生身の女に愛されてエッチしたいくせに。
み:うん。だって、男のコと女のコは一緒につながり合うために生まれてきたんだから…なんちゃってぇ(照)。
か:ちょっと頭を切り換えりゃ生身の女のコと物欲ゲームじゃない別のゲーム=Grand Theft Auto: San Andreas*3ができるのに。
具体的にはね、論壇は若さを求めてるから、若くしてそれなりの事を言ったり書いたりすればいいだけさ。論壇オヤジを転がす能力をつけるには、諸君!を熟読する必要がある。それができないから自称・宮台が増えるの。とにかく昨今は、論壇デビューを求める男のコと、作家デビューを求める女のコとの、ミスマッチ。男のコの幼児的な承認欲求は、成育環境を変えない限り、収まらないだろうな。
み:そっかぁ。ん〜、みんな殻から出てきてもっとつながり合いましょうよぉ。恐くないから、ねっねっ?

*1:文化系女子

*2:映像作家。

*3:いつ出るんだ!!