古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

曹孟徳になりたがる人々

http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20060109
インスパイヤ


三国志演義」での曹操孟徳の名言の一つに、
「俺が天意に逆らっても、天が俺に逆らうことは許さん」
という言葉があります。曹孟徳らしい素晴らしい言葉ですね。翻って、ブロゴスフィア。そこに住む人々も多くは乱世の奸雄たらんと欲しています。つまり、
「俺は他人の批判をするけれども、他人が私の批判をするのは許さない」
というわけです。
「単なるわがままじゃないか」とお思いの方もいらっしゃるかと思います。
しかし、さすがは曹孟徳の言葉です。こういう思いは人間、誰しもが心の奥底でもっている本音の部分ではあります。誰も自分にとって耳の痛い意見を聞きたくはありませんし、耳障りのよい声だけを求めがちなものです。ただし、言う事だけは言いたい。


そういうブロゴスフィアに大量発生している「態度だけ曹操孟徳」な人々の事を「ばかだなぁ」と批判する事はとてもたやすいことですが、ちょっと待っていただきたい。
「真摯に人の話を聞いて議論」するというのは「である/べきだ」論としては誰もが賛同する正論です。ところが、今まで、一体どこに「真摯に人の話を聞いて議論」していた人などいるのでしょうか。我々の見果てぬエルドラドであるところのマスコミ業界においてすら、そういった真摯なやり取りが行われた事がどれほどあるのでしょうか。ほとんどの人々が

例えば共通テストレベルの現代文の試験を課して偏差値70以上でないと書き込めないようにする、といったことができればとりあえず排除できるかもしれないなどと考えてしまう。人生は短い。有意義な人間関係を築きたいものである。

といった事を本音を部分では持っているのではないのでしょうか。(こちらの部分はマスコミ業界でも大変にご高名な方の発言を引用させていただきました)よくよく考えてみれば、雑誌や新聞などで論争が起こることなどほとんどなく、仮に起こったとしてもそれは至極予定調和的なものです。なぜなら、マスコミの人々は国家や社会の悪と戦わなければならないため、そんなマスコミ同士の論争などという非生産的な事はしたくはないのです。また、実際的な部分として、いわゆるマスコミの速度があまりにも遅すぎるため論争があまりアングルとして成り立ちづらいということはあります。


「真摯に人の話を聞く」ことが本当に求められるようになったのはブロゴスフィアが初めてなのではないのでしょうか。これだけ速度が上がった世界ではそんなわがままなことは言っていられません。そして、ブロゴスフィアに住む人の多くが「俺は他人の批判をするけれども、他人が私の批判をするのは許さない」という本音を持っているとすると、「人の話を聞かない」というのは格好の批判材料なんですから。数多く跋扈する曹孟徳達にことさら侮辱の言葉が投げかけられるのは、つまりそういうことなのではないのでしょうか。


これを回避するにはどうすればよいのでしょうか。
一つは「素晴らしい人々」を参考にしましょう。彼らが書く「素晴らしい」ブログには本当に素晴らしいコメントが載っています。
http://www.student-blog.com/univ/rank/
↑「素晴らしい」ブログたち
曰く「今日も面白かったです」「○○さんみたいにベンチャー社長に会いたい」「おいしそうですね〜」
言うまでもないことですが、これらのコメントは別に該当エントリを読まずとも書くことが出来ます。多分3秒ぐらいで。「議論」といった視点からみるとこれは愚の骨頂ですが、コミュニケーションとしては全く問題ない。むしろ「なんとなく繋がっている感じ」を非常に上手く演出する事ができるでしょう。


そしてもう一つの方法。それはウェブの世界で起こった揉め事をリアルで解決する事です。つまり、直電であり、メールです。何か自分の気に入らない事が起こった時にブログでコメントを書くからよくない。当事者同士の直接に解決すれば敗北することなく自分の気に入らない内容を修正できる。他の観客からすれば卑怯以外の何者でもないでしょうけど。

つまり、Web2.0の世界での真摯な議論などというものはもしかしたら私たちの脳内の妄想に過ぎないのではないのでしょうか。