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古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

「オーマイニュース」への不真面目な手紙

妄想

音羽理史さんがぼくのことを「死ね」と書いているのを見て少し目を疑った*1。ぼくは、音羽さんを現実にも、ネットを通してでも交流がないし、それにぼくは実名で音羽さんを公然と批判しているわけではない。そこに馴(な)れ馴(な)れしい感情はないし、もちろん憎いとかそういう感情もない(大変に才能のある方だということは知っていた)。なにゆえこの人はぼくに対して、こんなにまで「上からの」態度をとれるのか。

 偶然に見つけた音羽さんのブログや音羽さんの他ブログでのコメントを見て、大変驚いた。様々なところで「死ね」とか「2ころ」とか「一発やらせろ」とか「ばあやがしつけを誤った」とか、「木っ端イベント」とか「「昔は鬱で可哀想だった私だけど、はてなでこんなにポジティブになれました、ありがとうはてな」帰れ!」だとかありとあらゆる暴言のオンパレードであった。

 そこに書いてあったコメント内容は、まるで2ちゃんねるからのコピー&ペーストのようだった。もしかしたら、成りすましなのかもしれないと思ったほどである。それならそれで、コメント欄での成りすましについて本人から何かインフォメーションがあってもよさそうなものだが。

 どうも、音羽さんにはまず「自分が伝えたい事」があって、それに異を唱える人間は「馬鹿であり、私怨で攻撃してくる」ということで「コメント欄でどんな暴言を吐いてもよい」という見方をしているらしい。いちいち論じることにためらいを感じるほど、かなり陳腐な見方であるのは確かであろう。

 まず、「自分の伝えたい事は絶対」という画一的な見方、物事をあまりに単純に見る、ある種のブロガーたちに特有の見方に辟易(へきえき)する。「自分の伝えたい事」というものを何か1つの天の意思であるかのように金科玉条のごとく取り扱うというのは無理のある話だし、そもそもぼくからしてみればWebでの他人のエントリを批評するだけの人の、とはいえ、このように読者を侮蔑(ぶべつ)的に取り扱うブロガーがいること自体、「インターネット」の不祥事である。


 次に、ぼくが何度も例証してきたことだが、「オーマイニュース」というのが始めのころに“月刊市民記者賞”で調子にのったり、「ポエム」ような記事を繰り返し投稿してたりしていたような人たちを指すのだとしたら、オーマイニュースは21世紀に生まれたドリフだとしか思えない。


 最後に、もっとも大きな問題は「正しい新進気鋭のジャーナリスト・音羽理史対ホモソーシャル」という小さな圏域を問題とすることで、自分をその外、つまり「チャーチル*2」や「吉田アミ*3」「加野瀬未友*4」という「ネタ」的な対象から自分を切り離している――こう言っては何だか卑きょうな語り口である。

 ぼくが「はてな村の敵」ではないことは断っておこう。ぼくが立ち向かうのは何か? 挑発的な言い方をすれば、「自分は他人に何を言っても許されるが、他人が自分に文句をつけるのは一切許さない」という「曹孟徳主義*5」すべてである。それによって「新しい言論」など始まることはない。ぼくが何度も繰り返しているのはそういうことである。

 音羽さんに限らずだが、それを「新しい言論」だと論じたがる論者は、意図的にしろ、無意識にしろ、“プロレス”と“村のホモソーシャル”をダブルスタンダードとしていることが多い。だが、前者は本質的にエンターテイメントでしかないのに対して、後者ははっきり言って、気持ち悪いクネクネにしか見えないことが多々である。ぼくらしい嫌みなことを言わせてもらえば、チャーチルピクシーズの事を教えて、ネゲットして、ユリイカ*6に出たい、そのくせに公の場では「村のホモソーシャルの気持ち悪さ」を強調する。そんな人たちがどんな「新しい言論」をやるというのだろう?

 ブログのコメント欄*7で音羽さんはぼくを「君は人間として無意味だわ。」と呼んでいたが、なるほど、「村のクネクネ」を頭から信じず、これもまた「プロレス」であると信じて書いているぼくは「異形」なのかもしれない。しかしぼくは、誰に対して「異形」であるのだろう? 「異形でない人」というのはいったい誰なのであろうか? その正常さを認めるものとは?


 結局、彼がブログに出没して始まったはずの議論に、音羽さんがこのように不誠実な振る舞いでしか応対できないのは大変に遺憾である。それにしても、ぼくよりはるかに背負っている責任が少ないはずの泡沫ブロガーの声にまで、誠実に反応しろといったのは音羽さんのはずだが。

 何よりもぼくは、プライベートモードができるとはいえ、今では誰しもが入っているブログで、誰もが閲覧できる場所で、公然と批判もしていない人間に対して、とても公的といえないような暴言コメントを書き込める音羽さんの姿勢が疑問だ。それはブロガーうんぬんの前に、人として、ということである。

 このような態度がもし許されるのであれば、翻って音羽さんの批判もまじめに取り扱う必要はないということだ。音羽さんはそういうことが分かっているのだろうか? いや、分かっていないのであれば、人としては不適切だが。


 ぼくが勘違いしていたらしいのは、プロレス風に言えばどうやら音羽さんは「2Chはてな村という巨大な悪意と対立するドン・キホーテ」というアングル(構図)を演じるヒールで、彼の記事もそのまま読むべきではなく、ただ「アングル読めよ」という意味でしかなかったということだ。

 さしずめ、音羽さんにとってぼくは、「田中秀和リングアナ(ケロちゃん)」というギミック(設定)の興行の添え物に過ぎないのであって、彼にプロレスを仕掛けるような「キャラ」ではない、ということなのか。

 とにかくぼくは、音羽さんにがっかりしているし、こんな人にあれこれ偉そうなことを言う資格もないと思っている。ぼくの誠実さは音羽さんにこけにされたし、ぼくがあの記事にかけた時間は灰にされてしまった。

 どうしても分かってもらえないようだが、ぼくの言っていることは明快である。責任をとって欲しいと言っているだけなのだ。


 言ったことの、書いたことの、責任をとってほしい。


 音羽さんはこのように書いたことの責任を放棄することで、自分の言論を一気に風化させていることが分からないのか。

 もしくは、音羽さんは、ぼくが「ケロちゃん」で自分が全能の「プロレスラー」だから、「ぼくはわざとプロレスをやってあげてるだけなんだよw」と思っていらっしゃって自分の「ファン層」は痛まないとでも思っているのかもしれない。

 しかし音羽さんは、「言論」をやりにきたのではないのか? それとも、ぼくとプロレスをやりにきたのか? もしそうだとしたら、なぜそんなくだらないことを?

 どうせ、一切がアングルとギミックで「わざとやっている」に過ぎないというなら、いよいよ音羽さんの言っていることは、一切が虚妄で聞くに値することなどないということになる。


 結局、音羽さんはじゃらじゃらとどこかで聞いた哲学批評を飾り立て悦にいる中二病患者に過ぎないということだ。それならそれで他人のやることに口を出さず、中二病患者向けに
フーコーアーレントデリダを織り交ぜつつ社会を斬りつつも、自分を慕う中学生女子やサブカル著名人とクネクネしつつ、たまにネゲットするブログ」
でも書いていたらどうか。はっきり言えば、音羽さんをまともな人だと思ったぼくが間違いであったということだ。

 そうでないというならせめて、これぐらいの責任はとってくれ。どうしてそんなこともできないのか。


http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000004191

*1:http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20061126#p3 コメント欄より

*2:チャーチルさんごめんんさい

*3:吉田アミさんごめんなさい

*4:加野瀬さんごめんなさい

*5:三国志演義」にて行きがかり上人を殺めてしまい、それが誤解だという事がわかった時の曹操の台詞「俺が天意に逆らっても、天が俺に逆らうことは許さん」より

*6:アスキーアートです

*7:先ほど触れたコメント欄と同様の箇所

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