古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

23mmの銃口から飛び出す弾丸は真っ赤な野いちごさ

本当にどうでもいいことなんですが、インターネットの世界では「発言者が何者であるかよりも何を語ったかで判断するべき」という大原則があります。
インターネット、とりわけWeb2.0とりわけはてなダイアリーは天竺であり、神の国でありガンダーラでありユートピアな訳ですから、当然この大原則はもっとも厳格に適用されなければなりません*1。ところが恥ずかしながらはてな村の村民となってしまった私であっても時々この大原則を守れなくなってしまう時があります。


例えば、あくまでも例えの話ですが、
日ごろから他人を罵倒し続ける罵倒芸の持ち主がいきなり正論を持ち出した
りした場合、私はどう振舞えばよいのでしょうか。


正論というのは、例えば差別よくないとかいじめはよくないとか、みんな仲良くとか。そういったにわかには否定しがたい正論を持ち出してきたとき。正論なんて呼ばれているわけですからそれはまぁ正しい。


でもあんたにいわれたくないよ!


と言いたくなってしまいます。それは、それまでの罵倒芸の人の振る舞いを見てきたから。お前のアホとか、バカとか以前書いたそういうのは全部Okなのかい?と思ってしまいます。
インターネットの建前としてはあくまでその時々の意見の可否だけを判断しろという話なのかもしれません。
でも、ネットに長く同じハンドルネームで活動している事による「ネットでの名声」、つまり「梅田望夫の言う事だからこの自己啓発セミナーみたいな内容もまぁ正しいだろう」というものから、「republicがまたあほな事書いてるよ、またどうせ会社で嫌な事があったんだろう」みたいなものまで、良いものも悪いものも含めて引き受けるしかないと思います。
もちろん、こう書いた時点でその限界というのも明らかになっています。つまり、名声をリセットしたければハンドルネームごとリセットすればよい。ようするに「言いたい事」によってハンドルネームを使い分ければよい。そのコストは置いておいて誰もわからない。罵倒芸ブロガーだったあなたと血みどろの争いを演じたあの人と友情が紡げるかもしれません。そのささやかな二重人格ですらも暴く恐ろしい人々もいたりいなかったりするわけですが。


つまり、いくら「発言者が何者であるかよりも何を語ったかで判断するべき」という大原則を語ったとしても、インターネット上で長く活動を続ければ続けるほど過去の発言内容を元にした「ウェブ上での名声」によって「何者であるか」によって判断されるようになる、良しにつけ悪しきにつけ。では、どうしたらよいか?それがわかったら苦労はしなかったり…。
ただ、個人的に最悪だと思うのは、「ウェブ上での名声」を判断する材料、ブクマコメントやコメントなどで自分の都合の悪い内容を改変・削除したりすることです。そういう事をする人には何かやましい事があったのか?と思ってしまいます。他人をバカにする人は自分もいつかバカにされる、自分だけはいつも絶対正義の立場にはいられない。そのことだけは肝に銘じるべきだと思っています。

悪いひとたちがやってきて
みんなを殺した
理由なんて簡単さ そこに弱い人たちがいたから
女達は犯され 老人と子供は燃やされた
若者達は奴隷に 歯向かう者たちは 一人残らず皮を剥がされた
悪いひとたちはその土地に家を建てて
子供をうんだ
そして街ができ 鉄道がが走り
悪いひとたちの子孫は 増え続けた
山は削られ 川は死に ビルが立ち並ぶ
求められたものは発明家と娼婦

blankey jet city「悪いひとたち」

国境線上の蟻?THE BEST

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*1:mixiは…別にいいんじゃないの?読み逃げとかしちゃいけないサイトだから