古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

ゼロ年代のサブカルチャーは多分気持ち悪さを自覚する事から始まる

昨日のエントリとも少し関連してくるのですが、いわゆるゼロ年代(2000年代以降)の文化ってなんだろうかとかそういう話です。もちろん、「われわれ真のアーティストは〜」といった作り手としての心構えではなく、消費者としてどう振舞うべきかみたいな話です。大変どうでもよい話かもしれないし、そうでもないかもしれない。作り手としての心構えは真のアーティストの皆さんで考えてみてくれよ、な!


結論から言うと、それは自分の「気持ち悪さ」を自覚する事なんじゃないかと思います。


いや、http://d.hatena.ne.jp/megaane/20070415#1176660100
この辺を読んで思ったことなんだけども、

アイドルやエロゲーを若干過剰なほど批評的に書きたがる人文系スキーなひとたち

こういうの、そろそろやめようぜ、ちゅうことが言いたい。
もちろん、「YUIなんか聞くのやめて日暮愛葉聴こうぜ」とか「2次元美少女が出てくるアニメなんか見ないでジャパニメーション見ようぜ」とか「ライトノベルなんか読むのやめて〜(以下略)」とかそういうポジショントークをしたいわけでは、もちろんありません。
そういうのではなくて、エロゲーでも大塚愛でもなんでもいいんだけど好きなら好きでいいんだけど、それを人文系の知識を使って正当化しようとする態度こそが一番の問題なのではないかと思います。もちろん、好きでもないのに「あえて」そういうのを読んで「○○は非モテの自己正当化ツールだ!」とやる人たちには「お前に見せる電撃大王はねぇ!」とやるべきなのは当然なのですが。
今までのサブカル界というのは、そういう「これは皆さんはダメだと思うかもしれないけど私の人文系の知識によると実は凄いんですよ」という態度を取る事を黙認してきました(まぁあれとかこれとか)。もうそういうのは時代遅れなんじゃないですかね。もうそういうサブカル人文系語りは流行りません。
もう好きなら好きでそれを堂々と主張するべきではないでしょうか。つまり「綾波レイの「いかにも何とかなりそう感*1」っていいよね〜」みたいな感じで。もしもそういう主張をあなた自身が恥ずかしいと思うのなら、その主張はあなたの胸にそっと秘めておくべきではないか。私達は本当は胸の奥に秘めておくべき感情を人文系の知識にかこつけてあまりにもただ漏れさせすぎているのではないのでしょうか。
そしてそういう好きなものをぶつけ合って私達はワールドワイドウェブで殴り合えばいい。

*1:何がっていうのは自分で考えてみてくれよ、な!