古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

なぜ脱「オタ」なのか

フジロック後の逝っちゃった脳味噌(ほとんど寝てません)で考えた事。
脱オタクの定義はっていうと、

オタクである状態を脱すること。

ただしこの言葉には若干の定義の混乱があり、「オタクに特有の拙劣なコミュニケーションスキルを改善すること。必ずしもオタク趣味を捨てる必要はない」という意味で用いる者と、単に「オタク趣味を捨てること」という意味で用いる者とが混在しているので、注意が必要である。

脱オタとは - はてなキーワード
私もよく思うところではあるんですが、「オタクに特有の拙劣なコミュニケーションスキルを改善すること。」とあるんですが、「稚拙な『コミュニケーションスキル』」の人間というのは何もオタクだけに限った事ではありません(主な代表例は、はてなid:republic1963を参照せよ)。それなのに、なぜ、オタク(ここでの用法は「アニメやゲームが大好きな人」という意味)の「コミュニケーションスキル」や「ファッション」、「ライフスタイル」だけがことさら問題とされるのでしょうか?
ここでは「オタク論壇の既得権確保のため」という回答はおいておいて、なぜかという事をわりと考えてみると、要するにオタク産業=アニメ・ゲームなどが高度にメディアミックスされてるからなんじゃないの?と思ったわけです。
つまり、音楽ファン(笑)がいくら音楽好きだからといって、それにともなってテレビは「Beat UK」ばかり見ているわけではありません。「クリエイションレコード物語」みたいなのばっかり読んでるわけでもない*1。みんながみんなフジロックに行き、社会問題を考え、Save下北沢で安倍政権打倒なわけでもない。音楽ファン(笑)の本棚には意外と「恋空」あたりが置いてある可能性もあります。そういう人と私は極力お近づきなりたくはないけれど、可能性としてはありうるし、そういう多様性が意外と面白いと思っています。
まぁこれは、音楽というのがあんまりメディアミックスされているメディアではないというのと、ジャンル自体が死ぬほど細かく細分化されているという理由から来るのですが、それはともかく、では、アニメはというと小説なり、音楽なり近接するそれぞれのジャンルに「オタクっぽいもの」が準備されています。音楽でも偽ケルトの人たち(Sound Horizonとか)とか坂本なんとかとかいるでしょ。
これは要するに高度にメディアミックスされた「オタク文化」が他の「サブカルチャー」を完全制圧したということ(儲からなければだれもメディアミックスなんかしないだろうから)に他ならない訳で、まぁ喜ぶべき事なんでしょう*2、ただしそれが個人の適応の問題となるとこれはまったく別の話ではないのでしょうか。
もちろん、オタクだけどドルッティ・コラムとか聴いてるよという人も当然いると思います。
でも、オタクだからやっぱりi-podにはSound Horizonが入っていて、ブックカバーの下にはアニメ調のライトノベルがあるという「典型的オタクライフスタイル」が成立する可能性は「典型的音楽ファンライフスタイル」が成立する可能性よりもずっと高いわけです。この「典型的オタクライフスタイル」が果たして問題なのかどうかというのはよくわからないというかそれこそ「オタク論壇」の中で決めていただきたいのですが、それでも、趣味が一つというのは話題が一つということであり、一般的な考えとしてちょっと危ないんじゃないかという気はします。
こうして「アニオタデブニート童貞*3」が今日も大量生産されます。そして彼らに売るためのサプリメントとして「脱オタク」は今日もお近くのブログ論壇にて好評発売中になるわけです。

*1:大体、「音楽」と「音楽ジャーナリズム」は多分全く別のものだと思います

*2:個人的にはとても嫌ですが

*3:アスキーアートです