古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

「優越感文化」と「劣等感文化」

※8月20日追記しました。
たまにブログの文章を読んでいて驚く事があります。
それは、例えば自称・他称ともにオタクの人の彼らのオタク批判を読んだ時です。


「なぜこの人は自分が属する文化トライブの事を批判できるのだろうか」


といつも不思議になります。
要するに「世間様」からみたらエロゲーやってる「キモオタ」とオタク論壇で動物化について語るあなたは同じ「オタク」であり、見た目がどちらも典型的な感じだったらあなたがどれだけ高尚なオタク論を語ろうがどっちにしても嫌がられるでしょうにと思うわけです*1。そこで思うのが、要するにある種の人種にとっては自分の趣味というのは優越感文化、つまり優越感ゲームを基盤とした文化なんだな、という事です。


「オタクってのは○○○だからダメだと思うんだよ」
と論客が語るとき、論客は正しくはこういっている場合が多いと思います。
「オタクってのは○○○だからダメだと思うんだよ(ただ、俺だけは違うけどな!)」
この「ただ、俺だけは違うけどな!」は優越感文化の中では自明のものとされ、わざわざテキストにかかれることはありません。また、「俺だけは違う」理由についてはガチンコで追求しないのが、文化トライブ内でのエチケットとなります。


一方で、劣等感文化、つまり劣等感ゲームを基盤にした文化というのもあります。伝統的な童貞文化*2などがそういえるんですが、要するに自虐です。
「童貞ってのは○○○だからダメだと思うんだよ」
とディスクジョッキーが語るとき、それは誉め言葉であり、その本当の意味は、
「童貞ってのは○○○だからダメだと思うんだよ(ただ、俺はもっとバカだけどな!)」
となります。要するに伝統的な童貞文化においてはいかにダメか、いかにバカなことをするかというのを競うぶんかであり、「バカ」や「ダメ」を尊ぶ文化というのはそれこそサブカル界隈のある部分では連綿と受け継がれています。


では、「非モテ」は優越感文化でしょうか、劣等感文化でしょうか。昨今の「リア充」ムーブメント*3においてもわかるように一見すると劣等感文化のように見えます。
ただ、「リア充」という言葉は便利な言葉で、劣等感ゲームにも優越感ゲームにも使えます。
「リア充(はバカで、むしろ俺らの方がすごいんだから)」
「リア充(がいるのに俺はこんなにダメなんだ)」
と言った具合に。「リア充」という言葉が優越感ゲームもしくは劣等感ゲームを惹起するのではなく、その言葉を使う人の背後の文化によって、それはゲームの道具となります。優越感文化と劣等感文化に優劣がつかないのと同様、言葉も使う人によってその意味を変えるのではないのでしょうか。

*1:もちろんこれは音楽のようなサブカルチャー文脈においても全く同じことが言えます。

*2:伊集院光のラジオような

*3:マッドチェスタームーブメントみたいだ