古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

テレビゲームのルールと面白さ

http://d.hatena.ne.jp/number29/20070827
http://d.hatena.ne.jp/groon/20070826
上記リンク先のエントリについて書こうと思ったのですが、どんどん脱線していってしまいました・・・。


テレビゲームの面白さというのは主に二つに分けられるのではないかと思います。それは「ストーリー(物語)」と「システム」です。ストーリーとはつまりそのままゲームの脚本の事で、システムとは「戦闘システム」に代表されるようなゲームとしてのルール。ここまではそれほど問題ないと思います。
一口にゲームファンと言っても、大雑把に分けると「ストーリー重視派」と「システム重視派」に分かれます。この区分自体には言うまでもなく優劣はありません。
私が信仰する神、河津秋敏はご存知SAGAシリーズの生みの親ですが、SAGAシリーズというのはFFに比べて「システム重視派」が愛好する事が多いのではないかと思うわけです。少なくとも自分の中では河津秋敏は脚本家として評価されるのではなく、ルールの設計者として圧倒的に評価されています。
ところが、ここで問題となるのが、

登場人物たちの台詞がいかに類型的であり、シンプルなものであったとしても、そこにたどり着くまでに払われている時間の中には、キャラクターたちと、プレイヤーの間に、何度も繰り返される無数のコミュニケーションの時間が大量に支払われているわけですよね。その濃密なコミュニケーションの時間を成立させることは、リピート、すなわち「リセット」の可能なゲームというメディアの中でこそ成立している時間感覚です。そして、それこそが、ゲームというメディアのもっている物語経験の優越だろうという議論ですね。もっとも、これを「物語」と呼ぶべきかどうかは議論のあるところかもしれませんが、こうした経験を与えることのできるメディアとしてのコンピュータ・ゲームはやはり、偉大だなぁ、と思います。

http://www.critiqueofgames.net/2007/01/rpg.html


上記引用部分にて述べられている通りに、プレイヤーとゲームキャラとの対話によってストーリーが全くない場合でさえ、テレビゲームが物語的たりうる、という事です。
私にとってはGTAがまさにそれなのですが、GTAというゲームの脚本自体に全く共感できなくても(もともとそれほど凄いストーリーでもないし)、GTAは最高のストーリーのゲームとなりえます。それは主人公を操って食事をして、服を着替え、他のギャングと銃撃戦をして死にそうになって、他人が乗っている車を取って乗り回て、その車に乗っているうちにふとしたサンアンドレアスの風景が美しかったり、カーステでふとした瞬間に808StateやPrimal Screamがかかって「おぉー」と思ったり。私とディスプレイの向うのゲームキャラクター(カール・ジョンソン)との無数のコミュニケーションによってGTAは物語的たりうるといえるでしょう。
「主人公・カールジョンソンが対立マフィアと激しい銃撃戦の上、ライフがあと一ミリ、警官からの手配度は星4つであやうく駆け込んだクラッキンベル*1で一息ついて出てきた瞬間に警官に取り押さえられ身ぐるみ剥がされる」
というストーリーは、脚本ではなくまさにプレイヤーが操作した結果によって紡ぎだされ、プレイする「私」にとっては感動的なストーリーとして記憶されます。ところがそれは「ゲーム内で食事ができる」「街中で銃を撃つと星マークが増えて警察の手配度が上がる」といったルールが設定されて初めて物語として成立します。つまり、優れたルールが設定されたゲームは優れた物語を生み出す可能性があるということではないでしょうか。


そしてそれはAさんがプレイしたGTAとBさんがプレイしたGTAは全く同じものでありながら全く違う無数の個人的な物語が生まれるという事でもあります。この事こそがテレビゲームがその他の娯楽と圧倒的に違うところの一つではないのでしょうか。と、同時にそれは「ゲーム批評」の難しさでもあります。「エアリスが死んだ」といった脚本と違い、テレビゲームが生み出す個人的な物語の多くはAさんにとっては感動的なストーリーであってもBさんにとっては極めてどうでもいい事象となりうるのですから。

*1:というゲーム内でのファーストフードチェーン