古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

「ロストジェネレーション」に生まれて


ロストジェネレーションというのは、一言で言うと「可能性の排除」だ。


私自身は今、正社員として働いている。
しかし、求人倍率が5割そこそこだった当時、受けても受けても全く内定が出なかったのを思い出す。テレビの就職戦線系のニュースで「○社から内定でました」みたいな事を言ういかにもな感じの人を見ると果て無しない無力感に襲われる。
そして、田舎にたまに帰ると、どこそこの同級生がモバイトしているとかいう話を聞く。彼の携帯電話から妖精が出てくる*1のならそれはそれでいいのかもしれないが。それでも、自慢では全くないけど私の高校って一応進学校だからね。進学校の端くれではあるけど、一応高校名言うと周りの親戚とかは「すごいねぇー」という程度の高校ではある。それが携帯から妖精を出しているわけだ。
ただ、今になって思うと、当時の能力値(と学歴)では、まぁー内定出ないでしょうなぁ、よく内定でましたなぁrepublicさん、というのは思うところではある。
まぁ自分で自分の事を言うのもアレだが、全然自分の希望している職種では無かったけれど、当時何とか正社員として潜りこめたのがミラクルだ。入社した時の最初の上司になんか「死ね」か「田舎に帰れ」、しか言われなかったからね。あと鉄拳制裁。今でもたまに思い出す、あの月曜の朝の絶望的な気分。無論、今の私には能力があるなどという事を言うつもりはない。ただ、仕事をして、案件(プロジェクト)によって鍛えられる、というところはあって、私の場合たまたまそういうチャンスに恵まれた、という事に過ぎない。不思議なもので、もちろん、このブログで何度も話題してきた人々*2は相変わらず「体育会系でイケメンが〜」とか「オタク*3は営業やるな」とか言っていて、私は多分未来永劫バカにされ続けるし、私自身も彼らを許す事は絶対にないと断言できるのだけど、それでも仕事でそれなりに結果を出せば「それなりにやってるじゃねぇか」と言ってくれる人はそれなりにいる。だから私はロストジェネレーション世代の中でもかなり恵まれた方だという事は自覚している。


ロストジェネレーションの「可能性の排除」というのはつまりそういうことだ。つまり、スキル*4を磨く機会を与えられなかったのに、まさにそれを理由として社会から阻害される事(内定くれなかったのはそっちなのに!)、それがつまりロストジェネレーションだと思う。


と、ここまで書いてロストジェネレーション問題に似ているものを私は前から知っていた。それは、「非モテ」だ。
非モテも(自己認識として)「可能性の排除」された人々だ。
つまり、「お前らがコミュニケーションから排除してきたくせに、まさにその理由からコミュニティ(問題を狭くするなら恋愛)から阻害される事」その怒りがつまり、(現代的な用法としての)非モテだ。
その問題が「自己責任」とされている事、この構造の「勝ち組」にとっては何が問題とされているのか全くわからない事や、そのその仮想敵が社会にされている事*5もそっくりだ。ついでに言うと、これは推測なのだけど、ロストジェネレーション非モテもその中の結構な人々が、いい高校/大学を出て・・・というような「従来のゲームのルール」では少なくともそれほど割をくわなそうな人々だというのも共通しているのではないか。「非モテ」問題を語る人の多くがロストジェネレーションと呼ばれる私と同年代以降の人々であることも恐らくこのあたりが関係しているだろう。
であれば、私の下の世代の人たちがロストジェネレーションなんてものの問題設定をそもそも理解しないのと同様に下の世代にとっては非モテ論争なんてものがなぜ存在しているか全く理解できないのではないだろうか。
だからこそ論客の人たちはテロだ戦争だ、非処女はみんな〜(以下略)と物騒な事を言って煽り立てる。もちろん、個人の力でどうにもならない部分というのは必ず存在しているし、世界システム論的な弱者を弱者としてとどめ置こうとする構造を破壊するためのテロや戦争というのはわからない話ではない。


それでもなお、私はあえて非モテ問題やロストジェネレーション問題は個人的な問題だと思う。けして社会が解決するべき(解決できる)問題ではないだろう。それはつまり、自分の人生を納得できるものにするには、「まず自分が」納得するしかないということだ。モバイトだろうが外資系企業だろうが、100人斬りだろうが魔法使いだろうが、満足する人は満足だし、満足しない人は満足しない。社会に自分の居場所をつくるのではなく、自分の生きやすいように社会を作り変えよう、それはその人のわがままなのだけど、そうした場合、他人のわがままと対立する。それでも無理にでも社会にその要求を叶えさせようする場合、それには恐らくテロか戦争かしかない。そしてその先には恐らく日本の場合、「一緒に安倍政権(もうないけど)を打倒しよう!」といういつものフレーズが待っているはずだ。こうして非モテロストジェネレーションも「いつもの」場所に「新しい弱者」として回収されていく。
でも一度是非考えてみていただきたいのだけれど、本当にその要求はシステムを破壊する事によってしか満たされないのか。社会に自分の居場所を作るという事は物凄く難しいことではないし、システムの間隙をぬって何かをする事はそれほど難しいことではないのではないか。

*1:http://www.mobaito.com/popup/tvcm_opentime.html、http://www.mobaito.com/popup/tvcm_wanted.html

*2:600万ばばぁとか。懐かしいですね

*3:私のことね

*4:漠然とした表現ですが

*5:敵は「社会」であり、フォーカスされた仮想敵は「老人」や「素晴らしい人々」になる。