古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

「音楽ファン」捏造マニュアル

  • Ⅰ:「音楽ファン」捏造のための三段階

唐突ですが、「音楽ファン」には音楽を聴かなくてもなれるという事を皆さんはご存じでしょうか。


実はコミュニケーションツールとして音楽を扱う際には次の三段階があります。


1:「キャラ」の理解
(「ナンバーガールってサブカルだよね」)
2:「歴史」の理解
(「ZAZENBOYSよりはやっぱナンバーガールだよね。」)
3:「楽曲」の理解
(「やっぱ『OMOIDE IN MY HEAD』のイントロのドラム聴くとアガるよねー」)


当然、「キャラの理解」→「歴史の理解」→「楽曲の理解」の順番であるアーティストなりバンドなりについて理解度が高まっていく格好になります。


ところで、賢明なる読者諸兄におかれましてはここであることに気づくでしょう。


1段階や2段階で必ずしもCDを聞いている必要はない、という事に。
そして、多くのコミュニケーションの場においてはこの1ないし2段階の理解のみで完結させる事ができる事に。


まさにそれによってCDを聴かない*1「音楽ファン」という存在が成り立ちうるのです。
つまり、「ナンバーガールがサブカル(というキャラである)」という知識を仕入れるために何も「SAPPUKEI」あたりを聴かなければならないということはありません*2。ネットとロッキンオンジャパンがあれば十分なのです。そして「ナンバーガールのフロントマン、向井秀徳ナンバーガール解散後、ZAZENBOYSを結成した」という情報も全く同様です。同様に大沢伸一を語るのに「MG4」は必要ないし、ケミカル兄弟を語るのに「Surrender」は必要ないし、bird*3を語るのに「Mindtravel」は必ずしも必要ないのです。


これを踏まえて少し考えてみたいのが、「キャラ」とは何か、という事です。
「キャラ」といってもそれこそ山のようにあります。「オシャレサブカル」やら「30前の負け犬OL」やら「DQN」やら、「アニオタが主張する『本格派アーティスト』」やら、「非モテ」やら。これは一部がマーケティングの成果による(つまり、レコード会社やアーティストが「そう消費される事を望んで」いる)ものですが、他の部分は「何となくそう思う」事です。その「何となくそう思う」空気がある程度共有化され定着してくると、それが「キャラ」になります。例えば、Radiohead椎名林檎を私も含め皆がサブカルサブカル呼ばわりしている訳ですが、それは「サブカル」というキャラが幅広く共有化されているためです。つまり、キャラが立っている。ここがMUSEだったり小谷美紗子だったりするとあんまりキャラ立ちしていないため*4、相も変わらず皆サブカルっていうと椎名林檎だというわけです。
今だとPerfumeが言及されまくってる訳ですが、あれも「『エレクトロシティ』のギターがスペースカウボーイみたいでかっこいいよね」とかいう話ではなく、「オタクっぽいサブカルがいかにも好きそう」だとか「サブカル対応のアイドル」とかいう「キャラ」を語られている事がほとんどです。
話をわかりやすくするためにある程度しょうがない、と私は思います。「キャラ」で分類して語る、というのはそれなりに楽しい作業でもあるわけですから。


「言及する全てのアーティストについてちゃんと楽曲を聴き、歴史的文脈を押さえて語れ、それができなければ語るな」


というのは、私は無理だと思います。プロじゃあるまいし、ネットの評論にそこまで求めるのは酷だと思うし、第一、その肝心の「プロ」ですら全員がそこまでちゃんとやってるか怪しいもんだと思うので。「キャラ」が確立されるという事はそれだけメジャーになっているという事でもあるわけですし。
そして、これが恐らくここが一番肝心だと思うのですが、音楽だけではない、本も、映画も、ひょっとすると私達自身すら「○○、ああアレね」と「キャラ」になっているのだから。ただ、どこかで「アレじゃございません」という努力というのは必要だと思うし、「キャラ」でしか物事を語らない人間がいたらそれには「王様は裸だ」とどこかでいうべきではないかと思います。

*1:というのは言い過ぎだが

*2:もちろん、より理解を助ける事はあるでしょう。つうか名盤なので聴いてくれ!

*3:語る人はあまりいないと思うけど。俺は語りたい。

*4:まず知っている人がRADIOHEADほどではない、という事。