古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

行動真理教か非行動真理教か

「そこまで説教してくるけど俺たち結局どうしたらいいんだよ!」と非モテに詰め寄られた人が説く「いまを生きる処方箋」の多くが「とにかく行動しろ」というものだ。
とにかく脱オタしろ
とにかくナンパしろ
とにかくアキバデモに参加しろ
とにかく神を信じろ
多くの人たちがこの「行動真理教」だ。それに対して、非モテ側の一部はなんだかんだと「行動しない理由」をつけて行動しないようにする。これは「非行動真理教」とよんでいい。
ところで、行動真理教の真骨頂と言えるのが「脱オタク」だ。(「脱オタク」と言われているが、それがオタクと呼ばれる人のものだけではないということは言うまでもないことだ。ここでは「Cクラス*1の人がファッションやコミュニケーションのスペックを改善しようとすること」とする)つまり「決断主義のこのセカイにおいて僕らが適応するためにおしゃれな服を着てコミュニケーション能力を向上させるんだ!」というおなじみのアレである。


自分が行動真理教か非行動真理教かで非モテの派閥は大きく分かれる。
黒童貞と白童貞*2という非モテの区分において、黒童貞的な人(自分の思う通りにならない社会を変えなければいけないと考える人)においては行動真理教は是とされる傾向にあるのに対して、白童貞(思い通りにならない世界に関わることを極力避けて引きこもろうと考える人)においてはこういった解決策は否定されることが多い。黒童貞の世界観のバックにあるのは「世界は後天的な努力で変えられる」という考え方だが、白童貞のそれは「俺は生まれた時からずっと非モテであり、今後どんな努力をしてもそれは変えられない」という運命論的な考え方だ。


当たり前だが、私たちが何らかの行動を起こしたとして、その結果は私たちの意思が及ぶ範囲でしかコントロールできない。つまり、私が今日来ていく服をOIOIにするか、ビームスにするかしまむらにするかジャスコにするか決めることはできるが、そうすることで必ず彼女ができると保障することは誰にもできない。できるかもしれないし、できないかもしれない。できる確率は多少は変動するかもしれないが。
当たり前だが、彼女なり承認なりがほしいと思ってそう行動しなければ、彼女なり承認なりが得られることは決してない。「そんなものは必要ない」と思っていられるうちは幸せだ。だけど、人間が恐ろしいのは「気が変わる」という事だ。将来のある日、ある瞬間に突然彼女や社会からの承認がほしくなる可能性がまったくないとは誰もいえないはずだ。そうなった時に「非行動真理教」の人は自らに与えられたリソースを鑑みて、愕然としてしまうのではないか。


だから私は思う。行動するかしないかを決めるのは自分自身しかない。
だから「行動真理教」でも「非行動真理教」でも無責任に煽り立てる人間の煽り文句には耳を貸さないようにしよう。だが、私がどちらにするか決める手助けをしてくれるものには敬意を払おう。「昔こんな事した人がいたよ」「初心者はこんな服屋がいいよ」「こんな本を読むといいよ」「ここに行けば同じような人がいるよ」そういった情報は有用だ。
「わたし」が「やるか、やらないか」を決めるしかない。
そして「わたし」が決めたことに他人がどうこう口を差し挟む事は野暮というもんだ。


参考エントリ:http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20071121/1195669226

*1:あるコミュニティ内で劣位に置かれている人

*2:詳細は http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20060618#p2 を参照いただきたい