古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

「私たち」をとりまく「リアル」について

先日、「奇刊クリルタイ」のサイトに「非モテとは何か」というエントリを載せました。
http://khuriltai.readymade.jp/top/?p=15
いろいろ考えるところがあり、あそこにあの内容をもってきたところではあるのですが、
「life」書籍版で鈴木謙介氏がヒップホップ世代のリアルみたいな話をしていて、そこからずっと気になっていたんですが、今回のこのネタの直接のネタ元は佐々木俊尚氏のCENT Japanの記事です。
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2007/12/20/entry_25003250/
その中で触れた内容についてもう少しここで書きたいと思います。それは「リアル」についてです。
今回取り上げるのはリアルさ、とはつまり「ある圏域に属する人にとって「本当に起こりそうなこと(当然ながら願望込み)」か否か」ということです。


インターネットのロストジェネレーション世代にとってのリアルが非モテなら、女子高生(これは一般名詞ではなく、圏域の名前だ)にとってのリアルがケータイ小説になります。
それはGREE的なノリの「さぁ〜起業するぞ起業するぞ起業するぞ…」という人もそうだし、「日経ウーマン」あたりを読んで新世代のビジネスウーマンを気取りながらお茶くみをしている人も、新橋のサラリーマンも、萌えオタもサブカルも右翼も左翼も2ちゃんねらーも、およそ全ての人々が何らかの圏域に属しています。だから圏域それ自体の価値というのは原理的には存在していないと思っています。あるのはお互いの好き嫌いと影響力の差でしょう。
昔から、ある種の圏域というのは存在していました。「なんとか族」とか「なんとか世代」とか言われていたものです。
ただ一つだけ違うのは、昔は今よりもその圏域の数はずっと少なかったということです。今のように無限に細分化されてはいない。そして、その結果ある世代での共通体験と呼ばれるものも今後も起こることはないのではないでしょうか。ある圏域にだけ通用する出来事と世界観が無限ループで作られ続ける…というのがおそらくゼロ年代(笑)なのではないかと思います。簡単に言うと、ある圏域に属する人にとって亀田兄弟は悪人でなければならないし電通は悪の巣窟でなければならないからそれに沿った出来事だけがフレームアップして大きく取り上げる。一方で別圏域の人にとっては体育会系は正義でなければならないので、レイプに体罰、麻薬吸引といった体育会系の悪事については一切「なかったこと」にしています。

そんな世界で世代論をぶったりすることにはたして意味はあるのか、私にはわかりませんが、それはそれとして、では私たちは自分が属する圏域の中でどう振る舞えばよいのでしょうか。すぐに気付きますが、ある圏域の中で世界観を作る側に回るのが一番効率が良いのではないかと思います。一昔前であればそれでよかった。つまり「お茶の間」という圏域を作るのにはTVのワイドショーを押さえればよかった。ところが、今はそうもうまくいかないという事はすぐにわかるでしょう。つまり、2ちゃんねる圏域での世界観を作っているのは誰か特定の人間ではなくいわば無意識の集合知とでもいうべきものによって作られている。恐らく、ゼロ年代というのはその最初の入口であったと語られる時がいつか来るかもしれません。