古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

2010年、ボンクラ主義によって日本社会のとてつもない大改革が始まり、人々の生活が根底から変わりはじめた

元ネタ:ttp://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080302/1204438491


過酷なグローバル競争の中、BRICsVISTAが台頭し、統合ヨーロッパは域内労働市場の自由化で高成長し、アメリカも世界中の高度人材を吸収しつつバイオやITを中心に成長していた。
その中で、まともな成長戦略をもたない日本は、他国にどんどん追い抜かれ、日本の国際的地位はどんどん低下していった。
さらに、新興国の需要拡大で、原油、レアメタル、食料などの原材料が高騰し、人々の生活はますます苦しくなっていく。
ふくらみ続ける医療費、介護費、生活保護費、そして高齢化、地方の没落。増え続ける非正規雇用とワーキングプア


日本の未来は暗く、ひたすら絶望的だった。
そんな中、あまりの日本のていたらくに
「そろそろなんとかしなければ、日本は終わってしまう。」
と本格的に危機感を感じ始めていた一部の人々は、自力救済を説くマッチョ思想に大いに共鳴するようになっていった。
一方で、その他の人々は他人の力をあてにしまくって何となく日常を生きることを説くボンクラ思想に大いに共鳴するようになっていった。ボンクラ対マッチョの運動が盛り上がりを見せる中、ついにNPO法人bnkr(ボンクラ)が設立された。ボンクラ対マッチョ、日本の今後を占う、その対決は思いがけなくあっけなくついた。


ボンクラの圧勝であった。
NPO法人bnkrは国民の圧倒的大多数の支持を集め、機を見るに敏な政治家達はこぞってbnkrを指示した。当時、日本を代表するオピニオンリーダーだったマッチョたちはこの結果に愕然とする。
そもそも、ボンクラ思想というのは「変なことにだけ一生懸命になり、興味のないことは何もしない」というものだ。ここでいう「変なこと」とは、例えばクズAV・クズCD集めや俺だけのオールタイムベストCD、好きな女性芸能人(男性芸能人)リスト作りというおよそ生産性は皆無のものである。
そんな思想が支持を集めること自体がマッチョたちには不思議だった。
しかし、マッチョたちは大きな勘違いをしていた。
日本人はずっと前からもうすでに「がんばり」たくなんかなくなっていた事に。


ボンクラたちの最初のターゲットは教育の大改革だった。
子供たちを幼いうちから、骨の髄までボンクラ思想で鍛え上げるのが、彼らの目的だった。
学校では「ポーキーズ」、「超能力学園Z」などのボンクラ映画が繰り返し上映された。
仕事や学生生活を一生懸命やることはカッコ悪いことだと教えられ、だらだらすることが賞賛された。
そこでは起業、自己啓発などという台詞は言語道断である。
そんな事を口走ろうものなら、「お前どこのWeb2.0だよ〜」と馬鹿にされた(当時、すでにWeb2.0という言葉は決断主義、亀田兄弟、オーマイニュースと並ぶ「21世紀の爆笑フレーズ」となっていた)。
ただし、自分のやりたいことをやるのは良いことだとされた。
牛乳瓶のフタ集めや、車座での童貞会議をやることはよいことで、国語や数学も牛乳瓶のフタ集めと同格とされた。
そのうち、学校に来る人間はいなくなった。
働くことがよくないことだと教えられた以上、会社に来る人間もいなくなった。
結果、日本国は破綻した。
役所には生活保護を求める人々が列を作り、皆が公務員になりたがった。
しかし、働く人がいない以上、支払うべき金はどこにもない。
結果、「政治」までがボンクラ化したのだ。
配分するべき利権が無くなった結果、議員には適当な人がなり、国会議事堂は昼寝場になった。
右も左も心ある人はみなそれを非難した。打倒するための国家が「ボンクラ」であっては困る人たちだ。
「敵がそんなのでは、いきいきできない!」
彼らの叫びは痛切だった。朝生の議題は毎月、日本の止むことのないボンクラ化である。
ただ、日本は世界の中でもどうでもいい存在になった結果、北の某国も、太平洋を渡った先にある某国も日本という国を全く重視しなくなっていた。


ところで、働くことはカッコ悪いが、お腹は減る。
人々はいかに少なく働く事で日々生きていけるかを競い始めた。
人々は、競って田舎に住み、自給自足のために農業を始めた。どうしても仕事が必要な時だけ都会に出て働いた。税金という概念自体がなくなったおかげで生きていくのに必要なお金というのはそれほどかからなかった。
そして、余った時間は適当に過ごした。
恋愛も仕事も勉強も、やりたければやったし、やりたくなければやらなかった。
みな、好きな事をした。
もしくは、何もしなかった。
そんな中で適当に漫画やゲームや同人誌といったエンターテイメントが作られ、それが意外に世界的な支持を集めたりした。


しかし、一方でどうしても働かなければならない人たちもいた。
所謂、「旧世代」と呼ばれた人々だ。
彼らには、暇になったところで暇を潰すことができなかった。
「適当に過ごす」ことすらできなかったのだ。
もはや、誰一人見ない資料を作るために旧世代の人たちは旧世代だらけのオフィスで黙々と働いた。
旧世代のある中年は、
「もはや、私たちの役目は終わった。我々はもう経済を支えなくてもいいんだ。
ボンクラたちに任せておけば、日本は安泰だ。
ボンクラは仕事なんかしなくたってあんなに楽しそうにしている。仕事をするのは仕事しかできない人間なのさ」
と言いながら、寂しそうに笑った。