古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

評論家・ライター・ポエマー

結構ごっちゃにしているけどよく考えると違うよね、というお話。


評論家は評論を書きます(当たり前だ)。
ライターは各種媒体に載るような文章(仮にここでは媒体文章と名付けます)を書きます。
ポエマーはポエムを書きます。


評論と媒体文章とポエムは全く違います。
評論は自分の意見や考えを述べるものであり、
媒体文章はクライアントの意向を述べるものであり、
ポエムは自分の感想を表明するものです。


評論で大切なのは、新しい視点であったり、最新の知識であったりします。だから読む人を選びます。
媒体文章は短いスペースの中に最低限の知識を如何に詰め込むかが大切です。また、少しある商品の販促ツールであることが多いので、如何に対象の商品を売れるようにするか、という事も大切です。
ポエムは自分の感想を書くことなので、これはそもそも書くことが大切です。そして、その上で他人の感情に訴えかけることが大切です。

よく、評論は偉く、ポエムは卑しいものだという人がいますが、それは違います。
私たちが何か(CDやゲームなど)を買ったりするとき、評論家の評論と同じぐらい隣の友達のポエム=感想を重視したりします。山崎洋一郎ナンバーガール評よりもクラスのロック好きの「なんか知らんけどいいよ」という一言の方が販促ツールとしては優秀だったりします。
なんでもかんでも「評論」されてしまってつまんなくなってしまうことはよくある事です。
一方で、評論が不在のギョーカイというのもあります。
例えば、某レモンが表紙のテレビ雑誌なんかを見るとよくわかりますが、テレビドラマなんていう業界には評論家を名乗る方は多々いらっしゃいますが、実質評論があったことはありません。ほとんどが業界紙(「テレビなんとか」みたいな雑誌)を根城にするライターか、インターネットを根城にするポエマーです(ジャ○ーズのなんとか君が出てきてうれしい、みたいな内容のブログ。まぁいいんだけど)。それはそれでよいのかも知れませんが、少しつまらない。その意味で宇野さんがテレビドラマ「評論」を読ませてくれるのは意外とうれしいと思います。


ところで、いわゆるブログ論壇は金にならない、とよく言われます。これは私もそう思いますが、これは、実はブログで求められる能力というのが、ポエマーとしての能力が大だからではないでしょうか。ブログにおける良いエントリ、つまり3桁ブクマぐらいつくエントリというのは結構ポエム的であります。つまり感情を乗せたエントリに対して感情を乗せたブクマやコメントが付き、その「場」が熱を帯びていく。ただ、これは媒体文章におけるよい文章とはかなり違います(媒体仕事が一番儲かるのに!)。一方で、ブロガーのライターになったりするのが結構難しかったり、有名ブログの書籍化がそれほど面白くはなかったりします。


最後に。今、感情だけの文章は金にならない、という話をしました。
ですが、我々の身近にはすごいものがあります。
ケータイ小説です。
よく言われますが、ケータイ小説には情景描写、といったものがほとんどありません。たぶん情景描写ならオナニーマスター黒沢の方がよっぽど多いと思います。代わりに、ほとんどが会話、すなわち感情の応酬です。そしてそれが「泣ける」とか「感情」を喚起して売れています。
そして、赤木智弘氏。ご本人も「評論ではない」と言っているとおり、氏の一連の論考というのは感情ありきです。つまり、ポエムだ。だけど、だからこそそこら辺の弱者利権を食い物にしようとする人と違ってにわかには否定できないし、私は氏の論考を素晴らしいと思います。
つまり、今や大先生の評論も大本営発表の御用記事も必要なく、最も必要とされているのが「私たち」の感情なのだということです。