古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

受け手2.0

受け手2.0。プロの受け手になろうぜ、というのは吉田アミ先生が最初におっしゃられた概念です。
参考:http://www.sbcr.jp/bisista/mail/art.asp?newsid=3302
言うのは結構簡単で、何となく勇ましく感じるわけ。私もそうかそうかと思っているわけですが、具体的に落としこまれるとかなり難しい。何をやったらいいのかわからない。
んで、「受け手2.0」で吉田さんが具体的にどういうことを想定しているか、というと、多分作り手(クリエイター)がいて、受け手は作り手と相互にやり取りしてクオリティを高めていけるような批評をやっていこうぜ、というのが大体の意訳だと思います。
確かにそれは今までではありえない批評の形ではある。だけど、大変申し訳ないけれど、ちょっと楽観的にすぎるのではないだろうか、というのが私の感覚です。
インターネットの登場以前、批評(ないしレビュー)は批評家が批評家村(思いっきり嫌味な言い方)に村民登録しなければできないものでした。つまり、それは受け手の総意と必ずしもイコールではありません。つまり、受け手としてのインプット(批評)とアウトプット(コンテンツの需要)が同時にできる人間というのはかなり選ばれた人間であるという事です。そこら辺に転がってる「市井の人々」の「受け手としての感性」などというものは論壇的なインパクトはほとんど無視されてきて、それこそ和民で刺身3点盛りを食べながら話す程度の話だったわけです。これが受け手1.0です。
インターネット後、「そこら辺の人たち」が自由に感想を語ることができるようになりました。つまり、コンテンツのアウトプットとインプットが誰でもできるようになりました。
ただ、それだけでは玉石混交です。つまり、ありとあらゆるコンテンツのレビューがそれこそありとあらゆるレベルで流通する。自分のレビューを直接世に問う事ができ、かつコンテンツの作者にすら直接問う事ができる、コミュニケートすることができる。あくまでも原理上の可能性でしかありませんが、これは考えてみればものすごい事です。確かにすごい。吉田さんの考えだと、たぶんここで受け手達が頑張って意識を高めて、お互いに良い批評を作っていくことで受け手2.0になるし、していこうということだと思います。


ただ、難しいのは恐らく書いている人の意識というのは多分変わらないだろうな、と思います。
それは、ネットでレビュー書いたぐらいでは金にほとんどならない、というのとほとんど同じ意味ですが、多分、それをやるのはamazonとかなのではないでしょうか。
つまり、「書きたい人」というのは無限に近くいるわけです。
その人はほとんど金にならないけどレビューを書いている。自分のレビューを誰かに読んでほしい、別にそれ自体はごく普通の感覚だと思います。だけど、その人が書くレビューが玉か石かは誰にもわからない。で、その玉石混交の中から玉を選ぶのは多分amazonなりはてなブックマークなりなんなりといったシステムによって選ばれるのではないでしょうか。
つまり、受け手2.0にとっての批評とは全く金にならない自己満足の世界なのではないでしょうか。
一方で、コンテンツのインプットでいうと多分、キャラで消費する、という事になるんではないでしょうか。膨大な数のコンテンツ全てにアクセスしてそれを100%理解することなど、誰にとっても難しい。そのために皆キャラとして消費して、読んだつもりになる。つまり、キャラとしてわかりやすいコンテンツが持て囃されます。雨宮処凛のキャラ、恋空のキャラ、椎名林檎のキャラ、CIV4のキャラ、はてなのキャラ、非モテのキャラ、サブカルのキャラ、「私」のキャラ…全てがキャラとして消費される、それが受け手2.0なのではないでしょうか。
参考:http://yaplog.jp/parsleymood/archive/704


5月7日追記
id:amiyoshidaさんへ
ブクマコメントありがとうございます。私自身は大前提として受け手としての理想や夢を持ってもいいし、持つべきだと思います。そして受け手の未来としてどちらがあるべきか、という事に関しても論を待たないと思います。ただ、私はあくまでも素人としてプロの作り手の皆さんに何が言えるのか、という事を意識したいと考えています。その中で楽しいからやればいいよ、というのは少し楽観的にすぎるのではないかと思い以上のような内容を書いた次第です。何が言いたいのかわかりませんね、すいません。

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