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古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

それでも何か語る事があるのか

妄想

http://d.hatena.ne.jp/todesking/20080609/1212978530
「大はしゃぎでブログに持論を書く」自分の卑しさを自覚しつつ。


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1136294.html
http://www.excite.co.jp/News/society/20080609201237/JCast_21495.html


加藤容疑者はなぜここまでして「恋愛」なり、「友達」にこだわる必要があったのでしょうか。
思えば、昔の人たちはみんな「いきいき」していました。
世界の一等国目指して頑張ったり。
焼け野が原から世界有数の経済大国を目指したり。
社会主義革命を目指して本気で戦ったり。
国家やら、経済やら、イデオロギーの対立やら、宗教やら。
考え方自体の是非はありますが、それが個人を「いきいき」させるものだった事は間違いありません。
(そういう「いきいき」したバカによって災厄が起こされるという考えもありますが・・・。)


ところが全ての正しい人々によって「いきいき」できることは「解体」されました。
国家とはフィクションである、エコノミックアニマルはよくない、共産主義革命は幻想だ、宗教は麻薬だ。それはまぁ正当です。
ところが、あらかたの「大きな物語」が否定された後でこう思います。「じゃあどうやって「いきいき」すればいいの?」と。
そんなこと言っても一度「解体」された「大きな物語」はもう戻ってくる事はありません。
トリックがわかった手品を誰も面白がらないように。


そんな私たちに唯一残された、「いきいき」できそうなことが恐らく「わたしじしんの事」です。
つまりは趣味。音楽だったり、マンガだったり、スポーツだったり、料理だったりすることは、楽しいし、「いきいき」できますし、何より楽しい。ただ、趣味だけでは生活していけない。


そしてもう一つは仕事です。
仕事というのは不思議なもので、スイーツ(笑)ではありませんが、「仕事をしている自分に酔う」という感覚は確実にあります。仕事をすることで自分の自意識なり承認欲求が満たされる局面というのはあります。それ自体は別に悪いことじゃない。
ただ、問題はある程度人に認められるような仕事をする事がどんどん難しくなっていること。
今は、正社員になる事が難しいし、正社員になれたとしても課長クラスにすらほとんどなる事がかなり難しいような時代です。
そして、「人に認められる仕事」自体のハードルがどんどん上がっています。
昔は関東自動車の期間工でも、町の商店のおっちゃんでも、それなりに尊敬なり、承認なりを得ることはそれほど不可能ではありませんでした。だけど、今やみんなが声優やらゲームクリエイターやら雑誌編集やら一部上場企業の広報やらにならないと気が済みません。
そして、仕事をしても生活していけるかがどんどん怪しくなってきています。


そして、最後が恐らく、他者とのコミュニケーションであると思います。
異性と恋愛すること。友人を作ること。
その中でくだらなくてもいいからコミュニケーションすること。
多分、一番簡単かつ強力な「いきいき」できるツールであると思います。
ところが、それ自体のコストがどんどん上がり、そこからこぼれ落ちる人間が続出してくるようになります。

いままで、これは結構うまく回っていました。
仕事ができな人間はバリバリをしていればよかったし、それでも結婚相手ぐらいは見つかった。
仕事がそれほどできなくても、結婚相手はいたし、自分の趣味もできた。
なにより、仕事がいくらできなくても、そこまで生活に困るという事はあまりありませんでした。
だけど今は、金がない。
自分の人生の可能性がだんだんと狭まっていく感覚。
仕事で自己を実現できない人間が他者とのコミュニケーションに縋ったとして、それすらも拒絶された時の絶望。
この絶望の入り口は実は私たちのすぐ近くに存在しています。
その意味で多分、加藤容疑者は私のもう一つの可能性であった、と思います。
そして、世の中のどれだけの人が自分が絶望のすぐ近くにいる事を認識しているのでしょうか。


 ああそうか。あなたたちは自分が死ぬってことがわかってないんだ。知識としては知っているだろう。でも、それを自分に起きることとして真面目に考えたことがないだろう。生まれてきたときのことを覚えていないように、だから知識が何をどういおうと、自分がこの世の始まりからずっといたように思いこんでまったく疑問を感じないでいられるように、終わりもまたなくて、死ぬってことがなにか現実味のまったくない絵空事で、「死」という抽象的な観念のことならおしゃべりできるのに、自分が死ぬっていう具体的な事実については何も考えることができない。

YAMAGATA Dojo: Final 1998/09

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