古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

みのもんた行動研究-「ナツ」氏の事例から-


みのもんたとは何か。


おせっかいの事である。


人はなぜ他人のおせっかいをやきたがるのだろうか。
それは、おせっかいをやく事が人間の根源的な欲求だからだ。
何かに対して言及したいというのは人間のもっとも好きな事の一つだ。
誰だって何か起こったことに対して言及したい、そう思っている。
そして、ダメな人間(努力しなかったり、だらしなかったり、悪い事をしたり、経験が足りなかったりする人たち)を見つけてきて説教したいというのも、新橋の居酒屋を覗くまでもなく、これもまた誰もが大好きな事だ。
だけど、リアルの世界ではおせっかいをやくのにもコストがかかる。
時間だったり、手間だったり、お金だったり。
だから誰だってそんなにおせっかいばかりやいていられない。


みのもんたという存在は、人々の「言及したい欲求」を体現した人物だ。
みのもんたの代表番組、「愛する二人別れる二人」にしろ「愛の貧乏脱出大作戦」にしろ、「午後は○○おもいッきりテレビ(おもいッきり生電話)」にしろ、「朝ズバ」にしろ、全てがダメな人間に対して説教している。みのもんたは全てのダメな人間たちに説教する事で、視聴者達は疑似的におせっかいをやく事ができる。だからこそなんだかんだと言ってみのもんたはお茶の間で人気なのだ。
みのもんたがそういった立場にいるには理由がある。それは、みのもんたが「安全」だからだ。みのもんたが安全なのはなぜだろうか、それはみのもんたの「アドバイス」は無意味だという前提があるためだ。「愛の貧乏脱出大作戦」にしろ「おもいっきりテレビ」にしろ、アドバイスした後について何ら責任を持たない、ということが担保されているからこそ、好き勝手言えるし、視聴者は「アドバイスを受けた人のその後」を考えずに楽しめるのだ。 そしてもうひとつ、みのもんたが攻撃するのは「なんだかわからないもの」なのだ。たとえば、国であったり官僚であったりを朝ズバで攻撃する。だけど、その国や官僚の実体はどこにあるかもわからず何処かにゆらめいている。「なんだかわからないもの」であるからこそ人は「その人の人生」を気にせず好きなだけ攻撃できる。
蛇足だが、ユダヤ人という「よくわからないもの」に対しての恐怖を煽り、攻撃したのがナチスだったという事は記憶の隅に置いておいてもいいかもしれない。


非モテと一般的に呼ばれる人々の存在ほど、人々の「言及したい欲求」を刺激する人々はいない。もともと、恋愛関係の話題というのは言及に関するコストがとても低い。新しいWeb技術や人文哲学のような勉強は必要なく、だれもがフィーリングで言及できる。
そして、非モテとはダメな人間の最たるものだ。何せ、恋愛という「全ての人間が自然にできること」ができない、ということを自分のネット上のアイデンティティの拠り所にしているからだ。
非モテに関してのアルファブロガーに、ナツ氏という人がいる。


http://noraneko.s70.xrea.com/mt/


氏はインターネット上に存在するみのもんただ。
氏は非モテ議論が始まったかなり初期からブログを更新していらっしゃるのだけど、私はそこまでして非モテに言及する理由(しかもかなりの頻度で「過激派非モテ」から攻撃されている)がわからなかった。
だが、氏がみのもんただと考えると全て納得がいく。
「なぜ言及するか」なんて問題ではない。言及それ自体が目的なのだから。
氏は常に「非モテ」を批判する。だが、氏から「非モテ」とは誰の事なのか語られる事はけしてない。非モテは「なんだかわからないもの」として何処かにゆらめいている。
そして、氏のブログの中で非モテはカルトであり、「電波ウヨ政治家」と同じものだとされる。
インターネットの世界では、基本的に「ディスプレイの向こう側の喧嘩相手」に対して責任をとる必要はない。そんなことを言い出したら誰だって何も言えないし、みんなが「リアルではそれなりに生きているんだろう」と何となく甘く期待している。そういう意味でもみのもんたになりたがる人にとってはネットは好都合だ。


人は誰でも、みのもんたになりたがる。
それは、誰だって「言及したい欲求」を抱えているからだ。
だが、御法川法男はテレビという権威によってみのもんたとなることができる。
「視聴者」と「御法川法男」はテレビによって明確に区別されている。
だが、ネットのみのもんたには自らを権威づけるメディアは存在しない。
「視聴者(閲覧者だけど)」は次の瞬間「みのもんた」になる。
権威なきネットみのもんたに問われるのは、「みのもんたは裸の王様でなないか」という「視聴者」の声にどうこたえるか、と言う事だ。
そこで、

非モテ論議におけるすべての発言について、「非モテ、あるいは非モテ論議にとってマイナスかプラスか」で考えるより、「発言者が非モテかそうでないか」の方が重要だというのなら、もう何をか況やなんですが。

http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2008/0404000320.php


と書くことは果たして正しいのだろうか。


(8/7追記)
ブクマコメントに面白いコメントがついた。

NATSU2007 ブーメラン id:yugyuid:Masao_hate氏/メタブがうまく行かないのでこちらで。「非モテを叩くのは同族嫌悪」的なレッテル貼りで論点を逸らす人の実在が証明されたと言ったのです。→http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/lakehill/20080411/p1


すでにコメントは消されてしまっているので、正確な内容をお伝えできないのは非常に心苦しいのだが、以前のブクマコメントから総合する氏の主張をまとめると、
・republic1963は人にレッテルを貼る「ミソジミー非モテ」の代表例である
・ナツ氏がみのもんたであるというのはrepublic1963の悪質なレッテル貼りである
とのこと。


非モテに関するアルファブロガーからの貴重な「アドバイス」、真摯に受け止めたいと思う。


さて、ナツ氏の「republic1963はミソジミー非モテである」という主張、私は寡聞にして私がいつミソジミー非モテの主張(女が悪い的な主張)をしたのか憶えていないので、そう言っている発言を是非教えていただきたいと思う。
一方で、ナツ氏は私の存在によって「非モテを叩くのは同族嫌悪」的なレッテル貼りで論点を逸らす人の実在が証明されたといいます。これはみのさんにありがちな意味不明な発言だ。私は、ナツ氏が「言及したい欲求」という人間として当然の欲望に従っているブロガーである、という事を言っただけだ。別に同族嫌悪でもないし、ましてや非モテの方が正しいという事すら言っていない(そもそも、ナツ氏が攻撃する「ミソジミー非モテ」がどういう人なのか明示されていないので、擁護のしようがない)。また、明確な論点すら明示されていないにも関わらず(ナツ氏がみのもんたか否かというのが論点なのだろうか)、「論点をずらす」とか言われても意味がわからない。


ナツ氏は「論点をずらす」とか「まともな議論が」というようなフレーズを多用するが、それは「ちょっと聞いてョ!おもいッきり生電話」における「人生は60歳から、お化粧して旦那を驚かしちゃいな。それじゃぁねー」というみのもんたの決め台詞みたいなものなのだろうか。まさか「論点をずらす」=「自分の言う事を聞かない」というわけではないですよね?
さて、ナツ氏は氏がみのもんたであるというのはレッテル貼りだという主張をされている。
それは、「そうですか、わかります」と言うしかないのだが、ナツ氏が「私はみのもんたではない」という主張をされるのであれば、「言及したい欲求」に従って言及する以外に、言及する理由があるはずなので、それを是非教えてほしいと思う。社会正義のため?気に入らないidの人を叩きたいから?


ということで、私はナツ氏には以下の内容についてできればご教示いただきたいと考えている。
・ナツ氏が考える「過激派非モテ」ないし「ミソジミー非モテ」の定義
できれば、以下で挙げる童貞的主張のうち、どこまでがOKでどこからが「悪」なのか明確に提示していただけるとありがたい
1:伊集院光(自分がモテない事をネタにしよう)
2:本田透(自分はモテないのでエロゲーとかをやって幸せになろう)
3:2ch喪男板(自分はモテないし、世の中は絶望ばかりなので引きこもろう)
4:ミソジニー(自分はモテないのは世の中のせいだ、女のせいだ)
もちろん、「私が気に入らない人間が「悪」なのだ」という主張も賛同できるかどうかは置いておいてありだと思います
・ナツ氏が「過激派非モテ」以外の「非モテ」が「過激派非モテ」の行動を改めさせなければならないと考える理由と改めさせるための具体的な方法(http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2008/0404000320.phpでの主張の理由)
・ナツ氏が考える、今回のやり取りにおけるrepublic1963との「論点」と考えていらっしゃること
・ナツ氏がどれだけ「過激派非モテ」に攻撃されようと非モテに対して言及し続ける理由


以上、よろしくお願いいたします。