読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

「少年B」のこと

「全てが僕とは無関係にはじまって、無関係に終わってく、僕の中心はいつだって僕なのに、世界の中心はいつだって僕じゃない」
「少年B」脚本より

昨日は引っ越し準備もせず、松葉杖をつきつき「少年B」という演劇を見てきた。


http://www.komaba-agora.com/line_up/2009_04/shiba.html
作・演出の人のブログ
http://cassette-conte.air-nifty.com/

演劇を見るのは初だが、とても面白かった。
何かの機会で是非、再演してほしいと思う。
なんというか、ボンクラとか文化系とかそういうカテゴリーに入る人たちがモノを作るという事に対してグサグサ抉られる。痛い。でもまた見たいと思うし、そういうキーワードに心当たりがある人は絶対に見てほしいと思う。

〈あらすじ〉
学校と友人が世界の大半で、恥ずかしいほどに家族との関係を拒絶する。
体と心がバラバラで、図体だけ大きく頭は子供のまま。
そんな自分に根拠のない万能感や、異物感を感じたりする。
意味もなく自転車を乗り回す。やたらと河原に夕日を見に行く。
プラトニックに憧れるくせに童貞丸出し。
同級生に挨拶されただけで好きになる。
自意識という不治の病にはこのときかかる。
これは一生の続く呪いのようなもの。死ぬまで消えることはない。
あまりにも、あまりにも狭い世界。
だけどあの時ほど未来が広く感じたことはない。
(公式サイトより)


以後ネタばれ含む。


〈ネタばれ含む登場人物紹介〉
主人公(岡部)…スクールカーストCクラス系学生。お笑い芸人が夢で相方と練習してる。合唱コンクールで指揮者に立候補したりしている。37歳になった今でも舞台役者をやっている(それだけでは食えない)
主人公の友人・・・岡部の相方。実家(?)のラーメン屋を継いでいる
玉井君・・・アウトオブカースト系学生。主人公とよく宇宙人の話をする、ちょっと変わった人。37歳になった時には…??
山田君・・・スクールカーストAクラス系学生。不良だが、それを周りに咎められることはない。Aクラスらしい傲慢さを発揮する。37歳になった時にはローソンの店長をやっている。
井上さん・・・女子生徒。合唱コンクールを成功させようと頑張ったりしている。
妄想上の井上さん・・・岡部の妄想上にしばしば登場する。


・・・
・・・
これは、へこむ。
なんつうんだろう、まぁ、あれは、俺だ。
俺が中学・高校の時にクラスのDQNに本気で殺意を持っていた事を思い出した。
いや、DQNだけじゃなくて、DQNをチヤホヤする女達や周りの大人たちも。
みんな死んでしまえばいい。世界は終わる、終わってしまえ、と思っていた事を思い出した。
そういう中二病的妄想と。
そこから抜け出すために、俺はあいつらとは違う、特別な存在だと思って。
そして俺が縋ったのが「クリエイター」で。「サブカルチャー」で。
俺は「何者か」になりたいと思って、「何か」をなそうとしてきた。
だけど、少し年を取って気がついて周りを見回してみると周りには俺一人しかいない。
DQNのやつらなんかさっさと勝負から降りていやがる。
嫁と髪の毛染めた子供を和民かなんかに連れていって「やっぱり、普通の暮らしが一番なんだよ」とか言って幸せそうにしてやがる。
もちろんわかってる、DQNだってそれなりに大変だってことぐらい。

だけど、
なんだそれ。
なんなんだよ、それは。


この演劇が何より痛い*1のは、ほとんどは岡部の妄想だという事だ。「何者か(それはお笑い芸人だったり、俳優だったりする)」になりたい、という岡部のモチベーションはほとんど「妄想上の」井上さんとの会話によって担保される。もっとも「妄想上の」井上さんのセリフはとてつもなく無責任なのだが。それってどういうことなんだろうか。
「本当の」井上さんが登場するシーンは1:掃除のシーン*2と2:合唱コンクールの指揮解雇を告げるシーンの二つだけなのだという。多分「本当の」井上さんは岡部の事なんて覚えてもいないんではないだろうか。それでも井上さんとの妄想に縋る岡部。これがまだ20代後半だったら救いもあった。だけど、37歳*3。演劇のかたわら、バイトとかしてる。これはとてつもなく痛い。
もう一つの痛さが、玉井君の存在だ。
中学生のころから変人だった玉井君。彼がもし、37歳の時にひとかどの人物になっていたら、それはスクールカーストCクラスにとってのカウンターという意味で一つの「救い」たりえていたと思う。だが、実際はそれとは真逆の展開をする。彼は本当は「何者か」に一番近い存在だったはずなのだ。確かに彼は「何者か」になった。それは誰もが思いもしなかった存在なのだが。
そして、それによっていよいよ岡部の空回りはいよいよ救いのないものになっていく。


そう、この物語は本質的には岡部の空回りの物語なのだろうと思う。
DQNスクールカーストCクラスなんていう勝負、DQN側はしてる(されてる)なんて考えてもいない。勝手にCクラス側が勝負してると思いこんで、戦っている。
女子にしたってそうだ。まさか今だに自分が妄想上で岡部を励ましたりしているとは思ってもみないだろう。
人生、と呼ばれるものは本質的に不公平だ。
だけど、俺はそういう空回りを全肯定したい。
俺は何かを作る(それはサブカル的な何かでもいいし、会社における仕事でも何でも、いいと思う)、なんていう事は最初は全て空回りだと信じている。
その評価は後の人間によってなされるだけだ。
だから空回りすればいいじゃん、空回りして何かやろうぜ、と言いたい。
言いたいけど、37歳、という年齢がそこに立ちはだかる。
それでも俺はやろうぜ、と言えるのだろうか。


余談だが、この作品の中で1つだけ疑問だったのが、何かになる/ならないというのと東京/田舎という選択がセットで、しかも1か0かどちらかだけ選択しろ、という風に言っているような気がしたこと。確かに「演劇」というフォーマットからするとその通りなのだが、果たして本当にそうなのだろうか。もう少しグレーな選択肢があっていいのではないか。ローソンの店長やりながらでも何かする事は出来るんじゃないか、というか俺はそうしたい、という事を思った。

*1:イタいなんてどころではない、正真正銘に痛いのだ

*2:またここのやり取りが痛い。井上さんがスピッツが好きだと知っている岡部は「スピ…スピ…」とか言って会話しようとするのだ!私の事を見てるんですか?

*3:これは演じている役者の実年齢でもある

広告を非表示にする