古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

オーマイニュース終了で『編集』について考えた

オーマイニュース終了、というニュースについてはもう誰も興味がないような気もしますが、世間では「No more! OhmyNewsオーマイニュース消滅記念!(元)編集部発・最後の炎上大会〜」なんていうイベントも行われていたそうです。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2009/05/26/23559.html
この機会に主にPJニュースを中心にオーマイを回顧する記事も上がってきています。
http://news.livedoor.com/article/detail/4128561/
http://news.livedoor.com/article/detail/4137282/
http://news.livedoor.com/article/detail/4133803/
正直、「気持ち悪い」ですね。
鳥越(元中日→ダイエーか?)元編集長を筆頭として、傍から見ていてもオーマイ編集部のネットリテラシーの低さだとか、「市民記者」と呼ばれる人たちがあまりにも「アレ」な人たちが多かったというのはもう周知の事実であり、彼らのボケと突っ込み役のヲチャー達、三者が織りなす笑いのアンサンブルは弊ブログでも度々取り上げてきた次第です。という事で、今更鳥越(『拝啓、星野仙一様』の人?)の人が悪いとか愚痴られても…というのが正直なところの感想です。


オーマイニュースがダメだった理由についての話もいろいろ出ていますが、私が思ったのは編集についてです。
何かインターネット上でメディア(個人ブログではない、ある分野に関する記事の集合体のイメージ)を立ち上げるとして、その中身は主に二つに分けられます。
一つは、書く内容とともに、書かれる記事全てに関して校正を行うもの。これは既存のメディアの仕組みと同じです。編集者がいて、ライターいる。IT Meadiaなどが代表例ですね。これを仮に「編集1.0」と呼びます。
もう一方、これを仮に「編集2.0」とすると、編集2.0の世界では編集を全く行いません。つまり、つまり、不特定多数の人たちによって、記事が書かれ、その良しあしも不特定多数によって判別されます。はてなブックマークなどによって記事が自動的に選別されるようなイメージです。


編集1.0の利点は
・編集者によって一度手直しされているので、ある程度の記事の質が保証されている
・メディアごとの「色=テーマ」が出しやすい
・ライター/編集者相互にある程度面識があるので最低限信頼できる
一方で、編集1.0にはマイナス点もあります。
・編集者も、ライターもプロかつ人件費なので基本的に高コストであり、簡単にコストを下げられない
・ストリートのリアル(笑)を必ずしも反映しているとは限らない。つまり、編集者の感覚が世間の感覚とズレている可能性がある
・限定された領域においては一般人に負ける可能性が全くないとはいえない
と言ったところです。


同じように編集2.0の利点は
・低コストである。人件費を最小化できる(可能性がある)
・ジャンルによってはプロよりも良い記事が書けるアマチュアがいない事はない。「邦楽」についてはプロとアマチュアでは、プロの方が質が高い可能性が高いが、「邦楽」の中でも限定された領域、例えば、サカナクションについてだったら、プロよりも詳しいアマチュアがいない事はない、というかいる可能性は高い。
・良くも悪くもユーザーの興味・関心を反映した形になる
デメリットとしては
・本当に良い記事が注目を集める事ができるか疑問(はてなブックマークの例を参照)
・基本的には誰が何を書いてもいいため、最低ランクの記事は本当に酷い内容になる


つまり、編集1.0は編集者に高いスキルが求められ、編集2.0においては無数の記事の中から良い記事を選ぶ機能をどう設計するか、ということに高いスキルが求められます。
しかし、これはどっちが悪いとかいう問題ではなく、どういうサイトにしたいのか、という問題であるように思えます。
翻ってオーマイニュース
オーマイニュースは編集0.5ともいうべきものでした。
つまり、両者の悪いとこどりした結果1にもならない、という存在。
それほど積極的に企画・編集するわけでもない「編集(コストは既存メディア並み)」が存在するが、記事は基本的には自由に書ける。自由に書けるから最低ランクの記事はそれなりに酷い記事が集まります。それでも記者たちには「市民記者」という称号が与えられ、己の自尊心を満足させます。そういった玉石混交の記事の中から良い記事をピックアップするような仕組みがあるわけでもなく、結果として「イタい記事ばかりが外部のブックマークシステムによって『発掘』される」というほとんどギャグみたいな事態が進行しました。それどころか、オーマイニュース後期に登場した「プロ」「ライター」達の中には「市民記者」顔負けの「アレな感じ」を醸し出す人も登場し、「プロとか大したことなくね?」という思いを抱かせるに十分なインパクトがありました。もちろん、私はプロでやっていらっしゃる方の多くは物凄いスキルを持っているという事は知っていますが、ともかく、本質的な問題は、問題のある記者を排除するかどうかという事ではなく、問題のある記者の記事をどう目立たないようなサイトにするかということだったと思います。というか、そもそも、オーマイというサイト自体で記事をどう編集していくか=サイトをどう設計していくか、という考えが全くなかった、これが全てだと思います。その分岐点になったのは米欄でオピニオン会員を排除した時かもしれないし、もっと前に鳥越(2軍監督?)元編集長を編集長として迎えた時かもしれないし、その辺はよくわかりませんが。


というか、そもそも「市民メディア」なんていうものが必要なのかどうなのか、私にはよくわかりません。