古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

エデンのニシエヒガシエ

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045.html
梅田望夫が不思議なところは「総表現社会」自体についてはよく言及するが、「そこで何が表現されるか」ということについてはあまり言及しない事だ。
つまり、チープ革命(主にIT関連のモノやサービスの著しい低価格化によって社会の革命的変化が起こること。たとえば携帯電話やネットの普及など)によって、各個人の表現・発信のためのコストが劇的に下がる=実質無料になり、誰でも表現者になれる可能性を持つ社会がくるぞ、くるぞ、という煽りはしても、「そこで何が表現されるか」という事に対してはあまり関心がないのではないだろうか。それはもっちーの自己啓発的な側面(もう少しマイルドに書くとヒッピー/シリコンバレー的?)な側面を端的に表しているとは思う。ここで自己啓発的と書いたが、世の中にはそういう予言で煽りまくる人間も必要だ。
だが、総表現社会が登場したとして、私たちは何を表現すればよいのだろうか。
梅田は誰もが表現ができるインフラさえ整えば、誰もがインターネットを使って「ハイブロウな」表現(なんだそれ?)を始めると考えていますが、事はそう簡単ではありません。もちろん、政治経済や音楽なり映画なりといった自分の専門領域がある人や、既存のマスメディアの人間のようにそれを上手く言語化できる術を持つ人間や「その人が文章を書くこと」それ自体が価値を持つ人(芸能人や政治家のブログがこれに当たる)にとっては何の問題もない。
しかし、日本においては自分の専門領域を持たず、それを上手く言語化できる術も持たない人間の方が多数派なのではないか。つまり、「書く事がない」。「書く事はない」が「書きたい」と思う人にとって、唯一、誰にでも存在し、かつ表現できるものは私たちの感情だ。


嬉しいとか悲しいとか、腹立つとか。


そういう感情をぶつけることだって立派な表現だとはいえないか。


発言小町mixiニュースへのコメント日記を見てみればいい、そこで記述されているのは、ハイブロウな見解ではなく、素直な感情の表出だ。つまり我々は自らの感情をコンテンツ化する。
「総表現社会」は「総感情表現社会」だと言えるのではないか。
それが日本だけでの現象なのか、それが「残念」かどうかは私には理解できないが、それでも、それもインターネットのありようの一つなのではないかと私は思う。
それにしても「残念」だなんて、シリコンバレーでは波田陽区でも流行っているのだろうか。

ニシエヒガシエ

ニシエヒガシエ