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古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

PTAは全てのゲームに中指立てる

妄想

PTAの人たちはよく、子供たちにとって有害なゲームやテレビ番組を公表してそれを無くそうと奮戦している。PTAがブレないのは、PTAには「教育上役に立つものは良いものだ」という確固たる価値観があり、「ゲーム」もその限りにおいて存在を許される。つまり、脳トレは良いが、GTAはダメ、というわけ。
ところが、伊集院光が昔、ファミ通の連載で書いていた(もう何年も前の記事なのでうろ覚え)のだが、「ゲームって暇つぶしですよね?」と聞かれた伊集院は「暇つぶしです。だから僕は有意義に暇をつぶしたいんです」と答えたそうだが、ゲームというのは本質的には暇つぶし以上のなにものでもない。Civやって歴史の知識がついたりするのはあくまでも副次的な効果でしかない。
ロマサガミンストレルソングでHP30のアイシャで最終ボス撃破したり*1、5人タクティクスオウガだとか、スぺランカー1億点越えだとか、そんな事は私たちの人生には何の役にも立たない。


だが、それがいい


ゲームは単なる暇つぶしだからこそ楽しいのだ。
どうでもいい役に立たない事のために一生懸命時間を費やす。それは凄く楽しいし、贅沢な事だ。


だから、ゲームというのは本質的にPTA的な価値観と対立する。
要するに、PTAの人たちは、本当は子供にゲームなんかやってほしくないのだ。
私が小・中学生の時には学校で見る映画=交通安全の映画とか道徳の映画、ではやたらとゲームは悪とされた。そうした映画の登場人物は達はきまってゲーム買う金欲しさで万引きしたりしてた。
だが、今はそれをおおっぴらに言う事はできない。それはゲーム産業自体が大きくなり、社会に無視できない影響を持つようになったからだ。ゲームが有害だとして、そう簡単に任天堂やスクエアエニックスを潰せないからだ。大体、ファミコンブームの時にゲームやってた人間が親としてPTAにいるような時代になったんだから。だからこそ、お得意の「良いゲーム、悪いゲーム理論」=脳トレはいいが、GTAはダメ、という話になる。
つまり何が言いたいのかというと、表現に「何らかの意義(教育上良いとか、忠君愛国とか反日とかその他諸々)」を見出せるものが良いと考える人とゲームという表現自体の相性が良くない、という事だ。相性が良くないというだけならまだいい、だがこの手の人たちは「意義がない」事をもって「なくしてもよい」という発想になりがちだ。
そしてそれはゲームという表現自体をあまりにも馬鹿にしている気がする。

*1:http://www.bent.co.jp/main/ex/ex.htm やったことない人には何が何だかわからんだろうけど、はっきり言って神。

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