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古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

スポーツマンガについて二、三の覚書

妄想

今週のジャンプでアイシールド21が終わった。

アイシールド21 35 (ジャンプコミックス)

アイシールド21 35 (ジャンプコミックス)


まずは、7年間一度も休まず素晴らしいマンガを読ませてもらった事、まがりなりにもきちんと完結した作品になった*1事に敬意を払いたい。
アイシールド21はスポーツマンガというジャンルの中でも稀有な存在ではあった思うが、それを説明する事を今回のエントリの目的としたいと思う。
■個人型スポーツマンガとバトルマンガ
アイシールド21の話しの前に、スポーツマンガとは何か、という事について考えたい。
スポーツマンガは大きく3つに分けられる。


まずは、個人型スポーツマンガ。
個人型には「あしたのジョー」(ボクシング)や「風のシルフィード」(競馬)のように、個人プレイのスポーツは当然個人型だ。だが、野球やサッカーといった集団競技であっても個人型のスポーツマンガというのは成立しうる。例えば、「巨人の星」(野球)や「キャプテン翼」(サッカー)やあだち充の一連のマンガなどだ。個人型のマンガの中では例え集団競技であっても突出した個人の力量によってチームの勝敗が決まる。星飛雄馬対花形満や、翼くん対日向くん、を想定してもらえるといい。個人型のマンガにおいては翼くんや日向くん以外のチームメイトの多くは「モブ(群衆)」でしかない。
個人型のマンガにおいては、主人公の力量=チームの勝利であるため、物語が進んでいけばいくほど主人公の力量は上がっていく。だが、それと同じかそれを上回るスピードで敵の力も上昇していく。「巨人の星」の魔球のインフレであったり、「キャプテン翼」におけるライバルのインフレ(若林くん→日向くん→シュナイダーくん→サンターナくん→リバウドのパチモン)がまさにそれにあたる。
通常、個人型のマンガでは戦うフィールドも自分たちの地元→日本→世界といった具合にレベルアップしていく。そしてそれに従って強大なライバルが登場することになる。その度に、「既存のライバル」は解説役になるか、主人公の味方に回る。
これは「ドラゴンボール」に代表されるバトルマンガが直面した問題と全く同じだ。
そう、「個人型スポーツマンガ」は「バトルマンガ」と実はとても近い関係にある。
車田正美が「リングにかけろ」の後で「聖闘士聖矢」を描いたのは別に不思議でもなんでもない。形式としては非常に似通ったものを書いているに過ぎないのだ。

※バトルマンガとスポーツマンガの関連については、こちらのエントリが参考になる。
http://d.hatena.ne.jp/north2015/20080717/1216235641

■チーム型
もう一方はチーム型だ。
チーム型は個人型とはいささか趣が異なる。
チーム型のスポーツマンガの代表例は言わずと知れた野球マンガの金字塔、「ドカベン」なのだが、ドカベンにおける強さ、というのはあくまでもチーム対チームの強さになる。チーム型のマンガ世界では、能力100の投手がいるチームよりも能力90の選手が5人いた方が強い、という事になる。つまり、明訓高校対白新高校で、白新のエース不知火は明らかに里中よりも能力が高い。打率7割の山田太郎をも抑える事ができる。だが、明訓と白新では明訓の方が強い。
明訓が勝つのは、山田が打ったからではなく、他の選手が打ったからだ。
チーム型のもう一つの特徴は、能力のインフレがおきづらい、という事だ。試合の流れやチーム・個人ごとの相性によってチーム力はいくらでも上下し、物語の進行とチーム力は比例しない。だって、明訓って高一の夏が最強だったんじゃ?
ドカベンは、甲子園を3回戦い、その度に激戦を繰り広げる。
それどころか、プロに入っても「同じ」ペナントレースを何度も繰り返す。
そして何より、山田達はけして大リーグに移籍しないどころか、東京スーパースターズとしてあの最強の明訓を復活させてさえいる。
キャプテン翼が各年代の大会を1回しか戦わないのとは好対照だ。
これはジャンルの違い、というより基本設計の違い、といえるだろう。


■「リアル系スポーツマンガ」としての監督型
上記二つとも全く異質なスポーツマンガが監督型だ。これはゼロ年代後半以降に登場したジャンルだが、「ラストイニング」(野球)や「GIANT KILLING」(サッカー)がこれに当たる。監督型マンガの基本思想は、選手個々の能力も、チームの能力も、監督の采配によって引き出されるというものだ。監督型のマンガにおいては読者の視点はすでにマウンドやピッチの外にある。このジャンルのマンガの特徴は「試合と試合の間が丹念に描かれる」という事だ。つまり、「監督」にとっては戦いは試合前から始まっている。能力値100の選手で全員揃えても試合には勝てないし、全てにおいてオールラウンドな選手というのは存在しない。そこでは、各人の能力を如何に組み合わせるか、如何に戦術に組み込むか=つまり監督の采配が焦点となる。そこでは「選手個々の能力」は邪魔ですらある。某ミスタープロ野球の例を持ち出すまでもなく、能力値100の選手を揃えれば勝つのは当たり前なのだから。それでは主人公=監督の強さというのは際立たない。
つまり、監督型のスポーツマンガにおいては必然的に「至弱が至強を倒す」のが基本のストーリーとなる。試合中のベンチワークをはじめ、試合間の心理戦、練習、チーム運営まで含めて監督は働き続ける。なるほど、監督型は最もリアルなスポーツマンガであるといえるだろう。


アイシールド21における2人の主人公
ようやくアイシールド21の話に入る。
アイシールド21の稀有なところは、上記3つの要素を極めて上手く盛り込んでいる、という事だ。
特に「監督型」の要素をも盛り込む事に成功している、という事は監督型のほか作品の開始時期(ラストイニング2004年、GIANT KILLING2007年に対して、アイシールド21は02年スタート)から見ても驚異的である、といえるだろう。
アイシールド21が破綻なく3つの要素を盛り込む事ができたのは、ひとえに主人公を2人に分割したことによる。つまり、アイシールド21はジャンプ型マンガのお得意な個人型のストーリーライン=小早川セナの成長物語、という体裁をとる。敵と戦えば戦うほどセナは強くなる。
もちろん、最終局面においては「成長」によってライバルを倒してついには世界まで到達した、その意味でアイシールド21は紛れもなく個人型スポーツマンガだ。
だが、泥門は弱小チームであるために、チーム力同士の戦いでは常に劣勢に立たされる。泥門の選手たちは皆、一つのことしかできない選手たちだ。「主人公」であるはずのセナ自体が「足が速いだけ」の人間だった(最初は)。つまり、一芸に秀でた選手たちをまとめ、チーム力とする人物=監督が必要になる。つまり、監督=ヒル魔の采配。つまり、最終的にはセナの個人技によって試合が決まっても、逆転への突破口を作るのはヒル魔という構造が生まれる。ヒル魔は選手だが、監督であり、GMだ。セナは物語中比例して成長していく(選手としても、人間としても)が、ヒル魔は成長しない(というか、最大の能力である頭脳は最初から最強だった)つまり、選手と監督で主人公を2人に分けた事によって、アイシールド21は矛盾した3つの要素を盛り込んだ作品となった。


アイシールド21の挫折
だが、アイシールド21は明らかに「長く続きすぎた」作品だった。作品の最後半、帝黒〜W杯編では明らかに能力にインフレが起きていたし、W杯で集められた「オールスター」は人数という面でもインフレが起きていた(キャラが多すぎて描ききれない。筧と進と大和って同じじゃね?)。大体、「オールスターで世界と戦う」事自体がキャプテン翼から連綿と続く、個人型の特徴だ。
もう一つ致命的なのは泥門は負けない、という設定だ。
もう一人の主人公であるヒル魔は3年生なので、負けたら即引退、つまり、泥門デビルバッツが負ける時はアイシールド21の最終回だ。
つまり、連載が続く以上、泥門は勝ち続ける。
「負けたら終了」というのは、チーム各人(セナや栗田や雷門)の成長のために作られた設定(「負けたら終わりなんだ!」で成長、みたいな)だが、これは監督型スポーツマンガとしてのアイシールド21の魅力を半減させることになった。「勝ち」が最初から決まってるなら、試合中どれだけ苦戦しようと「どうせ勝つんでしょ?」となる。このあたりが負けを効果的に使っている「ラストイニング」や「GIANT KILLING」とは対照的だ。
もっとも、連載初期のうちにはこれでもよかった。だが、連載が進み、手の内がやりつくされていき、セナとライバルがどんどん成長していく中で、最初の苦戦も、逆転劇もどんどん派手になっていった。つまり、皮肉な事に「ヒル魔の采配」自体がインフレしていったのだ。


■まとめ
アイシールド21は稀有なマンガだった。それは矛盾した要素を取り込んだが故のバランスだった。
それは主人公を分割した上に成立したものだったが、連載が長期にわたるにつれ、その危うい均衡は崩れ始める。個人型スポーツマンガのように「オールスターで世界に挑戦」せざるを得なくなった時点で、ある意味、個人型スポーツマンガにおける能力値のインフレの世界に足を踏み入れざるを得なかった。ただ、アイシールド21が至弱が至強を倒す、という作品の根本的な軸(これは「監督型」の特徴でもある)はけして揺るがなかった。でなかったら、最後の試合に出てきたミイラがあの人間であるはずはないし、雪光やハァハァ3兄弟があんなにも活躍する事はなかったはずだ。
その意味で、完璧ではないにしろ、アイシールド21アイシールド21として最後までそこにあり続けた。7年間のその努力と才能に改めて敬意と感謝をしたいと思う。
ありがとうございました。

*1:ジャンプ作品でこれが如何に難しいか!

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