古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

ブス山さんはどこに消えた

伊集院光の深夜帯ラジオなどで頻出の概念「ブス山さん」。要するに「性格ブスな女(ルックスではなく性格である事に注意)」という意味で、一番イメージしやすいのは恐らく『ちびまるこちゃん』におけるみぎわさんなのだが、彼女らは一体どういう存在なのだろうか。そして、中学・高校の教室にはあれほどありふれた風景であった「ご高説」をぶつ彼女らは一体どこへ行ったのだろうか。
そもそも、我々がかつて生活していた「学校のクラス」とはどんな構造をもった場所なのだろうか。クラス内の力関係を説明した理論で一番著名なのが「スクールカースト」だが、ここではそこからもう一歩踏みこんでクラスについて考えてみよう。基本的に我々が暮らしていた学校のクラス内には以下にあげる4つのクラスタに分類される。すなわち、


・ヤンキー:不良―反体制。
・体育会系:不良―体制
・ボンクラ:まじめ―反体制
・学級委員:まじめ―体制


である。不良―まじめというのは、クラス内における他の生徒に対する態度を表し、体制―反体制というのは学校の権威、クラス内の共同作業や教師に対する態度を表す。簡単に言えば、不良の人達は普段他のクラスの人間の言う事を聞かず、自分たちで勝手に行動したり他人をいじったり人達。反体制の人たちは文化祭や体育祭などの集団行動や教師の言う事に従わない人達のことである。スクールカーストのネタ元であるインドのカースト制がヴァルナ制とジャーティ制によって成り立つのと同様、スクールカーストにおいても、ABCのクラス分けとこれらのクラスタ分けによって成り立っている。つまり、ヤンキー内、ボンクラ内でABCが分かれるという形をとる。簡単に言えば、ヤンキーのAクラスが和田アキ子でBクラスが品川祐、Cクラスが出川哲郎みたいなイメージ。一方で、どちらかというと相対的な指標であるスクールカーストと違い、これらは学力や運動能力とは一切関係のない、どちらかというとその人本来の「資質」的な側面が強い。つまり学級委員資質の人はずっと学級委員資質なのだ。
さてここで問題になるのが、伊集院のラジオを聞いたり投稿したりするような人間は基本的にこのボンクラ資質の強い人間が多く、ブス山さんたちは基本的に学級委員的な人達なのだ。先程、これらのクラスタ内部でさらにABCのクラスが分かれる、と書いたが、ここで我々(って言っちゃうけど)がバカにしているのは恐らくCクラスのブス山さんなのだ。
なぜこんなことが起こるのか。
それは、我々がクラス内の反体制側にいるのに対して、ブス山さん達はクラスの体制側だからだ。つまり、文化祭や体育祭といったボンクラ達にとっては『北斗の拳』の再放送や『マリオカート』よりも価値が低いイベントに血道をあげる彼女らは我々にとっては敵でしかない。文化祭や体育祭の時には同じCクラスであるはずのCクラスブス山さんよりもAクラスのヤンキーの方が「反体制」という志を同じくしている分、わかりあえている場合すらある。元々クラス内で指導的な立場にあるAクラスブス山さんならまだしも、普段はイジられているCクラスブス山さんがそういったイベント時に張り切るのは耐え難い。つまりはそういうことなのではないだろうか。


そして、ブス山さんたちは成長後どこに行ったのだろうか。ここから先は私の想像だが、恐らくAERAや日経ウーマンを読んでいるのではないだろうか勝間和代宮台真司的な「世界のリアル」をありがたがってる人達。そして、恐らく日本における「リベラル」のいくらかの部分は彼女らのような人達によって担われているのではないだろうか。