古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

ハックルベリーに会いに行った

昨日参加したはてな村反省会について少し。
当日のイベントについてはこちらを参照。

http://togetter.com/li/354612
http://blog.livedoor.jp/meda12/archives/51408137.html

すでにいろいろとまとめられている通りである。
はてな村反省会に岩崎夏海ことハックル氏が参加した。というかハックル無双であった。
結論から書けば、ハックル氏は世紀のエンターテイナーであり、もっと的確に表現するならば、世紀のプロレス者である。私を含め、ハックル氏を単なる「ヲチ対象」とだけ考えている人間は、猛省せねばならないだろう。
今回直接会って確信したのは

1:ありえないほどの自己肯定と承認欲求

2:ありえないほどの冷徹な視点

3:ありえないほどのエンターテイナーとしてのサービス精神
とが共存している人物であった。
この3つのうち「どれか」の才能を持っている人間はたくさんいる(特に1)。だが、それら3つを共存させている人間にはちょっとお目にかかったことがない。いうなれば、相反する属性を持つフレイザード、いや、超魔生物のような存在、それがハックルであった。とかく、ハックル氏と言えば1の側面ばかりがクローズアップされ、とかく「事故物件」として扱われがちであった。だが、そうした反応は実はハックル氏の思うつぼである、ということなのだ。
それが遺憾なく発揮されたのが、トークの最初のくだりである。
実は、「ハックルを何と呼ぶか。岩崎さんと呼ぶかハックルさんと呼ぶか」は事前の打ち合わせ(というかだべり)でも問題になっており、最初に確認しようという話になっていた。そこには「ハックルと呼んで怒らせやしないだろうか」という危惧があったわけである。
だが、ハックル氏の回答はその斜め上を言っていた。

「ハックルでもなんでもいいですよ、なんならもしドラ太郎でもいいですよ」

これはすごい。これが単なる自己肯定と承認欲求の塊であれば、こんなことは言わず岩崎先生と呼べ、となっていたはずだ(じじつ、大ベストセラー作家であるわけだからそういっても差し障りはない)。つまり、それはハックル氏のエンターテイナーとしてのサービス精神の発露であると思う。
「ITのゴリゴリした人」
「大西宏はITの敵」
「はてなはお茶を出さない」
「あの人はもっと伸びる素材だ」
等々等々。話を聞いていて何度笑ったかわからない。そして「はしごたん」という単語が出た時の場内の盛り上がり具合。これはもう稀代のエンターテイナーとしか言いようがない。かといって氏の度量が広いわけではけしてない。それは氏に言及(というかdis)する細かなIDまで認識補足していることからもわかる。私が「キングオブうすらバカ」の話を振った時点で「そんなのはどうでもいいだろ〜」という返しで十分だったはずで、事実、聴衆の間ではそんなコメントが聞こえた。なのに、事細かに経緯と自分の主張とを説明する。これだけの粘着力は一体なんだろうと思わせる「何か」がある。
そう、ハックル氏はどうやら本当に自分のことを天才だと思っているようなのだ。その意味で確かに自己肯定の塊である。しかも、それを100%信じて疑わないのだ。ハックル氏によれば「自分をdisる奴は自分の弱さを投影している」ということなので、すべての批判は無効(というかするほど「自分の弱さ投影」)になる。このロジック自体が凄いわけではない。これを100%信じ切っていることが凄いのだ。ハックル氏の主張の誤り(事実誤認)を指摘することはたやすい。だが、この「世界観」を覆すことは容易ではない。その意味では、最強。だが、考えてみてほしい。与えられたブックに対して「はいはいどうせブックでしょ」とやるプロレスラーに我々は本当に魅了されるのだろうか。その意味でハックル氏は世紀のプロレス者である。