古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

不思議の国の婚活

11月18日(日)に頒布予定の『クリルタイ7.0』に収録された序章を公開します。当日は是非ブースにお立ち寄りいただけることをメンバー一同心からお待ちしております。
詳細情報はこちらをご覧ください。

奇刊クリルタイ7.0

奇刊クリルタイ7.0


【頒布情報】
奇刊クリルタイ7.0
B5版、116ページ(予定) 1部 1,000円 
第15回文学フリマ
Fホール エ‐40 (東京流通センター2F)
※今回も「ことのは(@kotono8)」様との合体配置です。
※今回もバックナンバーの販売をいたします。各バックナンバーともお求めやすい価格にて頒布しておりますのでこの機会にぜひお求めください。


目の前では不思議な光景が繰り広げられていた。
岐阜市郊外の一軒家。ゲーム機とテレビが置かれた居間らしき部屋で、私は母親と祖母と見知らぬ中年の女性といた。仕事の都合で、10年住んだ東京から岐阜に戻ってきたばかりの頃である。母親と祖母に「いくところがある」と言われて連れられたのがこの民家。そこでは「人の前世が見える」という霊媒師に我々一家の行く末について真剣に相談している母親がいた。そして、何を思ったか「先生、息子は結婚できますでしょうか!」と霊媒師に相談する母親。私が死にたくなったのは言うまでもない。だが、その霊媒師の「ご高説」がふるっていた。「結婚できるだろうけどそのための出会いの場所にいかないとできない」という大変素晴らしいお答え。「アホか!」私は心の中で絶叫した。その後、内弁慶を炸裂させた事は別の話。だが、ひとしきり内弁慶を炸裂させると、私は恐ろしい事に気がついた。それは、「親世代からみたら私はもう結婚していないとおかしい年頃なのだ」というあまりにも当然の事実だった。だが、東京ではそんなプレッシャーにさらされた事はなく、当然、いつかそのうち結婚できるだろうという程度に考えていた。ブロガーという立場上『「婚活」時代』(2008年 ディスカヴァー・トゥエンティワン)なども読んではいたが、正直、それが自分に直接関係があること、もっといえば自分が「ヤバいかもしれない」なんていう事、考えたことがなかったのだ。その日までは。

だが、婚活しようとして途方にくれた。婚活しようにも、何のあてもないからだ。もっとも、10年ブランクがあれば当たり前なのだが。手始めにヤフーパートナーズとマッチドットコムに登録してみた。私が最初にメールしたのは業者のアカウントだった。3通目で別サイトに誘導されたためそのまま終了。業者に自分からメールしたなんて自爆もいいとこだ。そもそも、マッチドットコムには岐阜のアカウントがあまりいない。岐阜から名古屋、三重あたりまで範囲を広げてしらみつぶしにメールを送る。そして音速の勢いで送りつけられるお祈りメール。毎日一通は必ずメールすると決めてメールを送り続けた。だがそれでも返事が来るのは一週間に1件あればいい方だった。やりとりがまともに続くのはもっと確率が低い。実際に会って話がはずむなんていうのは本当に奇跡みたいな確率だった。一方、伝統的な手法も試してみた。場末のキャバレー(非キャバクラ)で「キャバレーのママの友達」という女子数人と冷凍から揚げと焼きそば片手に合コンしたり、後になって、女性陣から割り勘はあり得ないとか難癖付けられたり、YAHOO!パートナーに登録してたら高校の時の同級生に遭遇したり、お見合いパーティで瞬殺されて帰ってきたりもした。それで思ったのが、お互い30過ぎにもなるとそれなりにシビアに相手の事を見てくるという当たり前の事実。金はあるのかDVはないのか、変な趣味はもってないのか(これには多分当てはまる)等々。仕方がないけれど、だけど、こっちだって選ぶ権利があるとは声を大にして言いたかった。こっちだって色んなものに目をつぶってんだよ!と。
考えてみれば、不思議な事だった。私たちはそもそも、心のきれいな男女が恋愛して、結びつくのが結婚だと信じていた。古今東西の昔話や童話の類いを見るまでもなく、打算によって結婚相手を選ぶな、と繰り返し教えられてきたはずだ。だが、昔話や童話はめったに起こることがないからこそ、物語になるのだと私は思い知らされた。婚活という現場で行われていたのは、それとは真逆の光景だったからだ。「離婚歴あり」というチェックボックスに一つチェックを入れるだけで、異性からの返信確率は格段に下がる。公務員や上場企業の社員だというだけで婚活という場ではヒーローである。私たちはみんな、血眼になって「失敗しない相手」「楽できそうな相手」を探しているわけで、こんなに可笑しいことはなかった。
彼女と出会ったのは、婚活を初めて2年ほど経った後、マッチドットコム上で出会った。サイト上で彼女を見つけた時に直感的に彼女にはメールを送るべきだ、と思った人。私と音楽の趣味が似ていたので音楽や夏フェスの話で盛り上がり、二週間ほどメールのやり取りをした後で、実際に会ってみる事に。秋の名古屋駅で待ち合わせる。移動した居酒屋で、初対面の彼女がiphoneで見せたのは女友達と行ってきたという安井金比羅宮の写真だった。史上最強の怨霊として恐れられた崇徳天皇を祀ったこの寺、縁切り・縁結び寺として有名だそうで、境内には「○○勤務の○○と○○が分かれますように」、「夫が○○との不倫をやめますように」なんていうすごい内容の絵馬が盛りだくさん。もちろん全て実名である。それを写真を肴に酒を飲む我々。「birdとみうらじゅんの不倫結婚の是非」「出会い系で会ったウザい相手」の話で盛り上がる。で、何時間かそんな話ばっかした後でシメにラーメン食って記憶飛ばして解散。婚活における「面接(実際に二人で顔を合わせることを指す婚活用語)」といえばそれはそれはシビアなものだったはずだ。最初の「面接」でこんな事話してていいのかよ、という気もするがやっちまったもんは仕方がない。それにしても、岐阜でネットの事や音楽の事を一緒に話せる相手というのは本当に貴重だった。で、何度か会ってしょうもない事を話しているうちに、そのまま付き合う事に。婚活サイトに登録している以上、「付き合いたい」というのはとりあえず前提なので余計なかけ引きもクソもなく、行くなら行く、いかないならいかないと線引きが明確にできるところがメリットである。ただし、恋愛してるぞ、という感じは薄い。どちらかというと一緒に戦う戦友のような感じ。ただ、一緒にいると、話が合って、楽。相変わらず『モテキ』映画版を一緒に見に行って帰りに居酒屋でボロカスに言ったりしている。あと、一番嬉しいのは、自分の書いたミニコミや原稿(そう、この原稿の事だ)を「バカだ」とか言いながら笑って読んでくれる事。彼女と話した事がヒントとなってその後、原稿になる事もあったりする。そういう関係は、一般的な恋愛関係とは少し違うかもしれないけれど、楽しい。思えば不思議な縁である。自分は恋愛、というものにそれほど興味があるわけではない。だが、私が婚活に強く望んだこと、それは人生を共に歩む戦友を見つけることだった。縁切り寺の絵馬について語ることが戦友になるのかどうかわからないが、生きる事にまつわるめんどくささを一緒に引き受けてくれる人に幸いにも出会えたのならこれに勝る幸せはない。

こうして、たまたま自分は戦友にめぐり合うことができた(会う人ごとに運が良かったといわれる)。だが、不思議なのは、婚活は誰もが成功するはずはない。それはわかった。だが、そうした婚活の現状をほっておいている婚活会社やその周りにいるライターの人たちだ。例えば、どの婚活会社がどんな料金体系で、どんな人たちが登録しているのか?どの地方に強くて、カップル率はどれぐらいなのか。そういったことを調べて、情報を公開している婚活会社や婚活ライターがどれぐらいいるのだろうか。その替わりに垂れ流されるのは精神論や自己啓発の類い、もしくは「ぼく、わたしが結婚できるかどうか」とは全く関係のない天下国家の話である。婚活が、我々の人生を使った一種のゲームだとして、そのゲームの攻略情報が全くないのだ。そんな中でゲームを攻略しろと言われても困るのは当然だ。そもそも、婚活は一度きりという原則がある。離婚でもしない限り、何度も婚活する人はあまりいないのだ。だからこそ、情報は蓄積されないし、すぐに陳腐化する。だからこそ、精神論によらない、正しい意味での婚活攻略本を作ろう。これがこの本の出発点である。
ちなみに、縁切り寺に行った彼女の友達は、もれなくその後結婚したそう。ものすごい効果である。良縁を求める人は是非一度言ってみる事をお勧めしたい。

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