「非モテ」はなぜ死んだのか
久しぶりに非モテの話題を。
むかし、「非モテ」っていう「モテない事をアイデンティティにしたネット上のコミュニケーション」があったんですが、なんで死んだのかっていうのは今でもたまに議論になります。
ところで、「○○(という社会的な風潮や規範)によって俺たちは苦しんでいる」式の言説は「非モテ」に限らず、ネットでは度々見かけることが多い。だが、この方式の言説には、○○という「敵」が必要不可欠です。「非モテ」に対する「モテ」とか「リア充」とか呼ばれる人たちですね。で、そういうことを書いていた当事者にとって多かれ少なかれ敵がいたとは思うのですが、そういう「敵」像ってリアルタイムのものではなくて「俺が中学・高校だったころのあいつ」だったんではないのでしょうか。つまり、ここに5~10年程度のタイムラグが発生している。
要するに、
「非モテ」が想定していた「敵」は「非モテ」概念が登場した当初から「5~10年ぐらい昔の敵」だった
ということなんではないのでしょうか。このこと自体はおよそあらゆるコンテンツについて当てはまる事柄です。今でもたまに見ますが、オタク評論や地方評論では、いまだに5~10年ぐらい前のオタク像、地方像で語っている人たちが中にはいますが、そういう人たちは自分の中のイメージが更新されない限りずっと同じイメージで語り続けます。よって恥ずかしい。なので、それ自体は至極普通なのですが、非モテの場合、このタイムラグによって、非モテの「敵」概念が陳腐化してしまったのが非モテが死んだ一番の理由なのではないのでしょうか。
いわゆる「非モテ論者」には今現在30代前半=1970年代後半~80年代生まれの人が多かったように感じているのですが、それは、「非モテ論」を受容していた人たちの多くにとってその「敵イメージ」がリアリティのある、伝わりやすい存在であった事が考えられます。ですが、ちょうど同じころに起こったのが恋愛・結婚の自由化でした。恋愛・結婚の自由化というのは要するに「いつ・だれと・何回」恋愛・結婚しても良い、という考え方で、こうした考え方は80~90年代に生まれました。中でも非モテにとって一番重要だったのは「結婚する時期の自由化」でした。「いつ結婚しても良い」ということはつまり「もう○歳だからそろそろ結婚を~」式の理屈は説得力がなくなる、つまり、「恋愛・結婚しろ」という圧力(=非モテの敵)自体が弱くなるということを意味します。この結果、「恋愛・結婚しなければならない」という当初設定されていた「敵イメージ」自体が陳腐化することになります。
非モテの死について語られる時、その多くは論者の「成長」、つまり「いつまでもそんな学生みたいな事を言ってられなくなった」という事が挙げられていますが、より正確にいえば「学生時代の思い出が陳腐化した」というべきです。そしてそのこと自体はけして恥ずべき事じゃない。むしろ前に進むためには陳腐化させるべきではないかと思います。願わくば、ネットのアーカイブが後続に続く人たちに少しでも役立つ事を願って。