ジョブ充
「超文学フリマ」の開催に合わせて上京したのだが、盟友・id:admire-don師との会話にて「アメリカからやってきた全く新しい概念」こと「ジョブ充」が誕生したのでご共有(イケダハヤト的導入部)。
10年ぶりに2人の母校のある都内某所を2人で歩いてた時の事である。
古田ラジオ(古)「あ、これ○○(会社名)じゃん、こんなところに本社があるんだ」
admire-don(ad)「この辺はIT系やマスコミ関係の事務所が結構多いみたいだよ」
古「へぇー」
ad「そういえば、この間、IT系に勤めてる友達は「会社行くのが楽しい」とか信じられないこと言ってて」
古「えっ!なにそれ、クラックでもやってるの、その人」
ad「会社でフォトコンテストやってるらしく、楽しいんだって」
古「なんてこったい、俺らが勤めてる会社とはずいぶんちがいますなぁー」
ad「会社が楽しいだなんて、信じられないよね」
古「そういうところに勤めてる人はリア充なのかな」
ad「リア充っていうよりジョブ充だよね」
ジョブ充とはいうまでもなく、ブラック企業ややりがいの搾取、社畜と非常に近い概念である。だが、その内実は微妙に異なる。ブラック企業においては通常、労働時間や待遇、福利厚生などが劣悪であることが問題視される。ブラック企業の場合「他に行くところがない」などの消極的な理由で企業にとどまるが、一方でジョブ充企業は福利厚生は完備されている事が多い。完備された福利厚生と社会的なステータスというプラス面がある一方、「やりがいの搾取」による拘束時間は無限延長される。この両輪によってジョブ充企業は駆動する。そして、そこに勤める人々は「望んで」ジョブ充になるのである。そして、実はジョブ充は非モテ(モテない人)ととても相性がいい。無限に暇をつぶしたい非モテと無限に時間を会社のために使ってほしいジョブ充企業。ブラック企業と違ってジョブ充企業は単純な悪ではない。ただ、仕事と自己を同一化してくれる人間を求めているだけなのだ。