古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

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さらばBD!ビッグダディが「面白い」理由

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2013年12月29日。ついに『痛快!ビッグダディ』の最終回が放送された。『痛快!ビッグダディ(以下、BDと略)』といえば、毎回、我々視聴者に数々の笑いと物議を提供してきたコンテンツ。その軌跡はさながら一代叙事詩であった。結論だけ書くと、今回のBD20は最後の最後に爆笑の渦を巻き込んでくれた、我々BDウォッチャーにとってのテレ朝からの最高のクリスマスプレゼントであった。今回は最終回を振り返りながら「コンテンツとしてのビッグダディ」についてまとめたいと思う。

  • そもそも、「大家族モノ」って何だ

さて、ここで、簡単にBDの内容についておさらいしてみよう。

BDとは整骨院を営む林下清志(通称ビッグダディ)一家、ドタバタ劇や家族の絆を描いたいわゆる「大家族モノ」である。最初岩手に住んでいたビッグダディ達も、

奄美大島から愛知県豊田市、香川県小豆島へと移り、その間に妻(通称:ビッチマミィ)と離婚→よりを戻して再婚→やっぱり離婚→18歳下の妻(タレントの美奈子)と結婚→奄美大島に戻ろうとするも島民拒否→小豆島に移住→美奈子と離婚→岩手に戻る

という波乱万丈な人生を送っている。

そもそも「大家族モノ」の面白さとは、「貧しくとも、元気で明るく生活する家族の強い絆と幼い子供たちのドタバタ劇と子どもたちの成長記録」が物語を駆動させている。

だが、BDは違う。BDの物語構造とは、以下の通りである。

1:BDにおける「林下家」とは、一種の軍隊組織、「BD軍」とでも呼ぶべき組織である。下士官である子どもたちは上官(BD)には絶対服従であるため、大家族モノにおける「親対子供の対立」というアングルが極めて弱くなっている。

2:その代わり、BDシリーズにおいて物語を主に駆動させているのがBD対ビッチマミィor美奈子との「バトル」である。

これらは、BDを単なる「大家族モノ」番組としてだけではない、特異な番組になる事に一役買っていたいたのである。

  • なぜビッグダディは「面白い」のか

だが、美奈子の登場等、諸々の要素によって、「バトル」が封印された結果、キャンプや柔道といったひたすらに冗長な「BD軍」の軍事教練だけが映し出される事になった……というのがBDの「現状」であった。

その意味で、今回の最大のポイントは美奈子の存在の抹消とビッチマミィの電撃復帰だった。そして、これが数々の爆笑ポイントを生みだす起爆剤になっている。BDの著作『ビッグダディの流儀』を指して「あんたの本薄っぺらかったわねー」というビッチマミィ。何回爆笑したことか。最高。

ビッグダディの流儀

ビッグダディの流儀

 

 以下、BD20における復活要素を列挙する。

1:半ば意図的に「ツッコミどころ」を用意する手法 

例えば、先ほど美奈子の存在抹消について触れたが、美奈子の存在を完全に抹消したかに見せかけてテロップでは「今やタレントさんだからね~」とさらっと放送する技量。

例えば、里帰りした岩手のスーパーでおばちゃんから子供を「翡翠ちゃん?(翡翠ちゃんは美奈子の子供である)」と呼ばれて凍りつく周りの空気を余すところなく映し出すスタッフの「わかっている」ところ。

例えば、林下家の家族が持っているケータイがみんなスマートフォンだったり、BDがSONYのWindows8搭載のPCを使っていたりするところを、さりげなく、しかし確実に映し出すスタッフの心遣い。

これこそが、我々が見たかったBDであった。

こうした半ば意図的に「ツッコミどころ」を用意しているあたり、BDは「大家族モノとしてフォーマットを放棄」することによって面白さを獲得している事が良くわかる。

これは、BDが『ガチンコ!』の流れをくむ番組だと言えば理解しやすいだろうか。

『ガチンコ!』がその他大勢のリアリティ番組と一線を画しているのが、「リアリティ番組である事を放棄した」事である。

『ガチンコ!』が常にされてきた批判に『ガチンコ!』は「やらせ」であるというものがある。だが、そうした批判はほとんど意味がない。なぜなら『ガチンコ!』は意図的に「やらせであるかのように」振る舞う事でこの番組について語る幅を広げたのだから。ここで『ガチンコ!』が本当にやらせをしているかどうかは大して問題ではない事は言うまでもない。つまり、視聴者は『ガチンコ!』に対して「表で語られているストーリー=番組のVTR」と「裏のストーリーライン=これらはしばしばネットや週刊誌などで語られる」を語る事で2重に番組を楽しむことができるのだ。

この意味でBDは『ガチンコ!』の正当な後継者なのだ。美奈子の存在抹消により、こうしたBDの「語られる幅」は飛躍的に増えた(そもそも、これまで数年間ずっとレギュラー出演していた人をいきなり「なかったこと」にしているわけだから)。その意味でも大成功だった。

 

2:DQNなのにエコという矛盾

林下清志という人は、まごうことなきDQNである。DQNと大家族というのは非常に相性が良く、近年の大家族番組はほとんどがDQN番組と言っても良いだろう。

だが、BDは単なるDQNではない。簡単に言えばBDはエコなDQNなのだ。

キャンプへ行ったり、しりとりや野球をしたりと自然と戯れる。それだけではない。BDは子供の弁当を作る際に明言している。「子供には冷凍食品ではなく手作りのものを食べさせたい」と。『Very』に出てくる脱原発セレブみたいな発言である。実際、番組放送中にはDQNの代名詞でもある「国道沿いのマック」「ジャンクフード」といった記号はほとんど出てこない。『リンネル』とか読んでんじゃねーのというレベルでエコなのだ。

そもそも、我々はナンシー関がいうところの「銀蠅的なもの」が大好きである。

つまり、BDのような「いいDQN」というのはヒットするコンテンツの第一条件だといってもいい。だが、それのみにとどまらず「エコ」という気分も共有する最強の存在。それが林下清志なのだ。

要するに、「DQNだけど子供の健康を気遣っている人」という存在。庶民レベルでの右翼と左翼(的な気分)を両方を併せ持ってるからこそBDこそは最強だった。その意味で、我々には「エコ」やってるBDが必要だったのに、その料理を手伝う美奈子などは不要もいいとこだったのだ。離婚によって今回キャンプやらなんやらでそういった要素が大復活。最高。

  • 結局のところ

結局、コンテンツとしてのBDは視聴者としてみたいものをテレ朝の人たちも十二分に把握していたんだけど、結局それを阻害する要素がなくなったおかげでやっぱ面白いじゃん!っていう。

ただし、結局これって「林下清志という人のタレント性」ではなくて「スタッフの皆さんの技量」なんだよね。『ガチンコ!』が終わって、出演者たちがどうなってるのかをもう一度振り返ってみればいいと思う。ただ、その辺にも一応目配りはしてて番組的には「子供たちはみんな自立するからもう大丈夫だよ(テレビ局ももうしらんよ)」っていう事になってて、そのへんの「わかってるよね?」感も含めて素晴らしい風呂敷の畳み方の最終回だった。

さらば、BD!

ダディから君へ

ダディから君へ