「コストの差」でリベラルは保守に負ける
(いわゆる日本的な意味での)リベラルの危機みたいなことが言われて久しい。
サンデーモーニングは相変わらず風を読んでいるし、AERAとかも平常運転なんだが、ネットではリベラル(笑)みたいな受け取られ方をされることは多い。
だが、林下清志でさえ「子供たちには冷凍食品を食べさせたくない」と言う2010年代
。「食の安全」みたいな話から「エコ」「ロハス」みたいなところまで、「リベラル的なノリ」は世間一般に共有されている。それでもリベラルは危機なのだろうか。
確かに、食生活から服までリベラルは金がかかる。
生活の様々な場面に浸透している分、守るべき「戒律」が多くあるからだ。
エコやロハスを実践するには金がかかる。だからこそステータスシンボルになるわけでミセスオーガニックさんが誕生するわけだ。
その点、保守はコストが低い。
生活から縁遠く、観念的である分、守るべき「戒律」は多くない。
国を憂うのに金はかからないし、反韓・反中には金がかからないのだ。
「マックに行くな」というリベラルはたくさんいるが、
「マックではなく(国産企業の)モスかフレッシュネスバーガーへ行け」という保守にはあまりお目にかかったことがない。
秘密保護法に反対してる人がみなキライだからきっと良い法律なんだろ、という意見をネットでよく見る。反対を語れば語るほど逆効果になるくらい嫌われてるちゅうことを、私を含めたいわゆるリベラル派は考えてみなきゃ。これじゃ反対会見開いてかえって法案成立に貢献しただけ、ってことになる
— 香山リカ (@rkayama) 2013, 12月 5
香山リカは殊勝に反省している(ようにみえる)が、こんなこともいっており、たぶん本質的なことはあまりわかっていないように思える。
香山 でも中国や韓国に対する今の状況を見ていると、「若い人たちはソーシャルなものに関心があるから大丈夫」とは、全然思えない。それこそ今は、中韓を叩く本じゃなきゃ売れない、みたいになっているでしょ?
たとえば社会的な活動とか護憲運動をやってる若者なのに、ちょっと話すと、「やっぱり韓国は許せない」なんて言う人がたまにいる。中国はまだしも韓国を叩くのは、「弱いくせに何言ってるんだ」という心理ですよね。それはソーシャルを志すことと矛盾しないんだろうか。「リベラルだったら、憲法は護憲、死刑は反対」みたいなイメージを持っている、こちらが古いとは思うんだけど。
そんなこと以前にリベラルが一種の成金趣味になっていることのほうが問題なのだ。要するに「安部政権が国民の生活を破壊し、軍靴の足音が聞こえる」昨今、金持ち趣味をひけらかしてどうする、という話。
主張の正しさ云々の前にこのコストの差は決定的ではないだろうか。
リベラルのこの高コスト構造が解消されない限り、恐らく今後もリベラルは保守に負け続けるだろう。