ぼくらが非モテになった日
↓この辺を見て思ったこと。
http://anond.hatelabo.jp/20070205222738
http://anond.hatelabo.jp/20070206181208
なにがそうさせたかというと、「うわ、増田が色気づいてるwww」といわれたのが死ぬほど屈辱的だったっていう。
この作者の人はタイムマシンに乗って私の高校時代を見てきたのかとでもいいたい内容。ではあるのですが、あえて言いたい。これは「モテない人」であって「非モテ」ではないのではないか、と。
ちょっとここからヤバイ内容。
「モテない人」と「非モテ」は同じようで微妙に違うような気がしています。
つまり、「非モテ」とは「モテない事を自分のアイデンティティとしている人」なのではないのでしょうか。
客観的には非モテ(彼女なし=年齢)だけど、非モテ問題に全く興味のない人という人もいます。彼らが興味のない主な理由は、エロゲーやるからいいよとか、別に異性に興味ないしとか、そういったものです。仕事が忙しくてそんなことしてる暇ないというのもこれに含まれると思います。つまりこういった人にとってはモテる/モテない以外の別のもの、それは仕事であったり、宗教であったり、政治信条であったりしますが、そういったものがあるので、別に非もてなんてものを自分のアイデンティティとする必要はないため、はなから非モテなんてものに全く興味はない。逆に言うと、一旦非モテをアイデンティティとしてしまうと、それこそ彼女が出来ようが、100人斬りだろうが、非モテは非モテ、いつまでも「心に茨を持った少年」であり続けるのではないのでしょうか。
余談ですが、だから「モテない事に対するソリューション=脱オタ指南とか」と「非モテ解消のソリューション=同じような趣味を持った人を見つけるなど」というのは、その位置づけが全く違います。多くの脱オタ説教厨はここのところを全く理解していないので、全くとんちんかんに「普通にやってればモテる」とか「○○*1は非モテの自己正当化ツールだ!」とか言い出すわけです。
では自分の場合、「非モテ」と自己規定した出来事というのは何だったのかというと、これはもう伊集院光です。彼のおかげで完全に道を踏み外したといってもいい。でも伊集院のおかげで自分みたいな人間のセンスなり、趣味嗜好なりが「アリ」なんだという事を認められた気がして夜中のアパートで一人で毎日爆笑してたのを思い出します。
あれはとても嬉しかった。でも、伊集院は非モテ界でいえば古い世代に属するでしょう。非モテ界での評判も悪い。
今の非モテの人たちはどうやって非モテになっているのでしょうか。
*1:エロゲー、アニメなどが入る