古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

D.T.対オタ*2

D.T.とオタク。おそらく皆さんこの二つは同じ人種ないし、同じ主義をもつ同志だと思ってらっしゃるのではないのでしょうか?これまでの日記で明らかなように、私もこの二つ少なくとも心情的には理解しあえるものだと思っておりました。でも、なんか違うようですね。
まず、最近のオタク界の定義としてこの「萌える」か否かっていうのがオタクかどうかの境目らしいんですけど、私にはオタクに特有のあれ、「萌え」ってのが全然わかんないです。エロゲーとか、アニメ調のエロイラストとかでヌク(下品な話ですいません)こともできないし、ヌク人の心情もわかりません。私はゲーマーでもあるのに…。で、これを一番痛感するのが、伊集院光の深夜のラジオです。伊集院のフリートークとか、葉書とか時々オタク系の話とか出てきますけど、あれって方向性的には「ネタ」なんですよね。象徴的だったのが、いつぞやの「ディレイで言ってみよう!」での殴りたいメガネ=トミーフェブラリーっていうネタと、それを受けての伊集院のコメント。「あいつ(=トミーフェブラリー)って「眼鏡好きっていう層ってあるよね」って絶対思ってる。」というような事を言っていた。萌え層(=M-1)に喧嘩売ってるでしょう、これは*1。で、伊集院はオタクを認めこそすれ評価はしていないっていう結論が導かれるわけです。
詳しくはこちらを参照
http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/jiten-ijuuin.htm

確かに、D.T.≒童貞≒オタクなんだけども、オタクがある種の諦念(○○(美少女キャラ)がいればいいや)があるのに対し、D.T.はそこまで諦めていない。むしろ、見果てぬエルドラド(童貞喪失のことね)を目指し、努力しつつも失敗してしまう。そして、それすらネタとして消費できる。それがD.T.だと思う。エルドラド*2を諦め、自分の脳内に新しいエルドラドを作るオタク*3と、エルドラドを目指して失敗する自分を笑う、自嘲的なD.T.。この差はモテと童貞なみに決定的だと思う。D.T.とオタクは全く違う人種で、童貞という共通項だけがかろうじて両者を繋いでいる。そういう状態なのかもしれません。まぁ、とは言ってもD.T.はオタクのことが嫌いではないと思いますけど。嫌いではないけど、付き合いたくはない。それが両者の関係なんでしょうね。

*1:もちろん、オタ層がそういうネタも自虐的に笑う程度には寛容であるっていう計算が働いていることも否定しないが

*2:歴史マニアな表現がお好きなら、プレスタ=ジョン王国

*3:そして、もしかしたら彼らこそ(彼らの好きな表現で言うところの)ニュータイプなのかもしれないんですよ。