古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

我らの時代〜サブカルチャー編その3、サブカルチャーにおける紫綬褒章の存在について〜

今回は、サブカルチャーにおける勲章の存在です。
ちょうど今、ハウルの動く城がやっているのでアニメで説明。
アニメって明らかに「見ていい*1」作品、「見てはダメ*2」な作品があります。例えば、宮崎駿や大友克弘、押井守エヴァンゲリオン、ガンダムなんかは「見てもいい」作品になります。あとはドラえもんちびまる子ちゃんこち亀みたいな国民的アニメも「見てもいい」に分類できます。一方でその他の多くのアニメ、「カードキャプチャーさくら*3」なんかはどれだけ人気になろうと、どれだけ金を稼ごうと「見てはダメ」な作品になんです*4。この二つの違いは何があるのでしょうか?
・まず、一つは「時間の経過」が挙げられます。一般的に作品が長い間続けば続くほど、権威付けが図られます。これは当時その作品を見て育った人間がどんどん社会的発言力のある地位につくためです。
・もう一つ。これが今回のキモです。これらモテサブ/モテメイ文化のなかでもエヴァンゲリオンのようにほとんど時間が経っていないのにモテサブ、モテメイに位置するアニメもあります。これがダササブがモテサブ、モテメイに昇格するための「紫綬褒章」です。これは例えば作者によるサロン活動*5や哲学的(な、ように見える)内容、知的(な、ように見える)内容、「海外実績」などです。
私が挙げたこれらの要素によって「これはオタク向けアニメじゃない」、「この作品の中には人生において重要なメッセージが含まれている」などというイメージが付加され、本来モテないサブカルだったはずのアニメがなぜかモテるサブカルやモテるメインストリームのための作品になるわけです。
そして我らの時代において興味深いのは本来絶対に紫綬褒章がつくはずがないような作品にまで紫綬褒章が与えられ、作る方もそれを意識した要素を盛り込むようになり、またそれを振りかざす理論派が現れた事です。例えばエロゲー界における「泣けるエロゲー」や「萌え」、「一部のテレ東アニメ」なんかがそれに当てはまるでしょう。
確かに、日頃抑圧されがちなダササブ文化の人々が「世のモテ組に認めさせたい!」という欲求を持つのはある意味当然なんでしょう。しかし、理論派の皆さん、この紫綬褒章なんですけど元々非オタク的な勲章なために特に作家先生の場合紫綬褒章を得た瞬間からオタク切りが始まるという事を覚えておいたほうがいいかもしれません。

*1:前回の講義に於けるモテサブ、モテメイに位置する

*2:同じくモテダサ。

*3:最新のオタアニメがわからん。申し訳ありません

*4:この「見ていい/ダメ」の分類は「初対面の人に「見てるアニメは?」と聞かれて答えられるか否か」で分類できます。

*5:一般誌や「CUT」、「STUDIO VOICE」みたいなおされ雑誌に登場したり、大学教授などの権威のある人物を相手に対談したり、エトセトラ、エトセトラ…