古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

恋愛至上主義との戦い〜内ゲバやってる場合でもないと思うんだが…編〜

The boy with the thorn in his side
Behind the hatred there lies
A plundering desire for love
How can they see the Love in our eyes
And still they don't believe us ?
And after all this time
They don't want to believe us
And if they don't believe us now
Will they ever believe us ?
And when you want to Live
How do you start ?
Where do you go ?
Who do you need to know ?


心に茨を持つ少年
その憎悪の影には愛に飢えた心が隠されている
凄まじいまでに愛を渇望する心が
僕の目の奥深くを覗き込むのに
どうしてみんな信じてくれないのだろう?
僕らのことを結局誰も信じてくれないんだ僕らの事なんか
今は誰も信じてくれないとしても
いつかは僕らを信じてくれる日が来るんだろうか?
生きてみようと思ったら一体どうやって始めたらいいんだい?
どこに行ったらいいんだい?
誰に会ったらいいんだい?
THE SMITHS「The Boy With The Thorn In His Side」


最近、ず〜っと探していた「電波男」を読みました。
まだ、途中なんですけど、う〜ん…。岡田斗司夫の「オタク学入門」がエヴァンゲリオンとか何とかかんとかいろいろあって得意の絶頂にいるオタクの勝利宣言*1としたら、今回のは逆ギレ気味の勝利宣言。私なんかは女がいないからっていって死ぬわけじゃないし、自分の趣味を楽しんでいればいいんじゃねぇかと思うんだけど。
この本を1言で表すと、「俺らには萌えががあるからいいもんねぇ〜。べぇ〜だ!」って事だろう。しかし、これは某教団が「俺らはハルマゲドンの後も生き残れるからいいもんねぇ〜べぇ〜だ!」って言っているのと変わらない。つまり、オタクは宗教になりつつあるのではないのでしょうか。
新たな現実の視点→現状否定→新たなユートピアの提示
乱暴に言うと、これが宗教の基本構造です。
で、
新たな現実の視点=「ガンダムは現実世界の…」→現実否定=「周りの人間は恋愛至上主義に毒された奴らばっかりだ」→新たなユートピアの提示「俺らには萌えがある!」
という形。はてなでその筋の人たちの文章を読んでいると、大体この形に添っている*2と思います。もっとも、私は「宗教だからダメだ」というつもりはないです。ロリコン牧師の教団だろうが創○学会だろうが、それで幸せになれるかどうかはその人次第だから*3
で、私がなにが言いたいのかというと、童貞はどうなんだろうなぁっていうことです。私みたいな人間はどうしたらいいんでしょうか。モテねぇのはモテねぇんだけど、オタクではない人間。いわゆる、童貞のことなんだけど、この場合の童貞っていうのは身体的状態における童貞ではなく、ライフスタイルとしての童貞。*4要するに、ただモテないってだけの人間。そういう萌えられない人間はどうしたらいいんだろうか「お前らも萌えろ!」とか言うのか。だったら御免こうむる。
これはオタク界においても少し言えるのではないのだろか。大体、第1(2?)世代のオタクである岡田斗司夫の「オタク学入門」にはほとんどそういった女性を敵視するような記述は見当たらない。岡田斗司夫はオタク学みたいな仕事の後、コミュニケーション論みたいな仕事をしているんだけど、その中でも問題は家族をどうするかというような話で、モテる・モテないみたいな話はでていなかったと思う。
オタクが今みたいに恋愛至上主義がうんちゃらかんちゃらって言い出したり、女を*5敵視したりするようになったのは、オタクが「萌え」という概念を発見してからだと思う。それがどうなのかというと、よくわからんのですが。お前らがやってるのはやせ我慢なんだよ!っていわれる事に腹が立つし、後ろめたいというのは間違いなくあるだろう。*6ただ、オタクが宗教化(あるべきユートピア=2Dキャラの獲得)をしていく過程で、「オタクだけど、ユートピアに賛同できない人間」を生んだのは間違いないのではないか。それが、「初代ガンダムは凄いけど、今やってるガンダムはクソだ」みたいな話になるんではないかな。そういうオタクなんだけど、オタクでない人たちは今どうしているんだろう。

しかし、私たち童貞も「世界の中心で愛を叫ぶ」とか、恋愛至上主義の申し子みたいな物に対して口を極めて罵っている訳です。でも、私はというか伊集院光でさえ、それに対して何か対案を示しているわけではない。これは何なんでしょうか?やってることといえば、ひたすらの罵声と笑い。ただそれだけなんですよね。というか、恐らく別に何もなくていいやって思っている。まぁ、何とも諦めが悪いなぁと思うんですけど「とはいえ、モテたい」って言うのがあるんでしょうね。童貞の思考の中では恋愛至上主義から出て新たな価値を打ち立てようとするっていうのはないと思う。あくまでも恋愛至上主義の中での戦い。敗北の決まった戦いではあるけれども。そういうゲリラ戦を挑んでみるのもいいのではないのでしょうか。「俺なんかに彼女がいる」それが恋愛至上主義に対する勝利だと思って頑張ろうと思う。頑張れるかな?


「童貞とは宗教ではなくライフスタイルである」フェルナン=ブローデル*7

ホント、全く面白くないエントリで申し訳ありません。次回からはいつものほのぼのブログに戻すつもりです。

*1:New Orderにおける「World In Motion」みたいなもんだ。

*2:もっとも「電波男」、ネタかマジかよくわからん部分が多々あるので本当にそう思っているのかという微妙なんですが。

*3:ちなみに、私は新興宗教入るというのは「競争相手を減らす」という意味でそれはそれで合理的な判断だと思うんですけどいかがでしょう。自分は絶対しないけど。

*4:伊集院光のラジオを毎週聞いていたり、小田原ドラゴンのマンガを愛読するようなライフスタイル。非童貞でも入会資格はあるし、童貞でも入会資格はない人間もいる。以下同じ。

*5:私は「必要以上に」だと思うのですが、いかがでしょう?

*6:岡田斗司夫は「それも恋愛だ!」みたいな事を言っている。ある意味すげぇなと思う。

*7:当たり前ですけど、ウソです。