リバタニアン非モテ
思考ゲーム+電波。
- 作者: ブロック.W,橘玲
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/02/03
- メディア: 単行本
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再びご登場いただきました、「海外投資を楽しむ会」の橘玲氏が超訳した本。一連の「黄金の羽根」系の本はどちらかというと、実技というか、実際の生活におけるサバイバルを書いた本なんですが、こちらはもう少し学術的です。
- 作者: 橘玲,海外投資を楽しむ会
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2003/11/21
- メディア: 文庫
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もし仮に、リバタニアン非モテというのが成り立つとして、その史上最低のサブカルバカブロガーとしてのスタンスとリバタニアンの思想というのは一体どう両立するのかというのが今日の話。え〜と、リバタニアンっていうのは自分の自由を最大限尊重する訳です。例えば、前掲の本、「不道徳教育」にはこんな一節があります。
あなたについての私の「意見」は私の頭の中にある。
あなたには私の脳味噌に干渉する権利はない。
私が自分の思想信条を表明する権利は言論の自由によって守られている。
すなわち、私があなたについてなにを言おうが(たとえそれが真実でなくても)私の自由である
最後なんてどうかと思いますが…。原理主義的にいうと*1こういう事になる、と。
非モテ的にいうと、「あなたには私の脳味噌に干渉する権利はない」というこの部分を強調したい訳です。
彼女/彼氏がほしい、ほしくないというのは私の脳味噌で決める事であり、他人が私の脳味噌に干渉する権利はない。つまり、私がどう生きようが*2私の勝手、たかだか彼女がいるいないで全人格を否定するのは言論(思想)の自由に対する挑戦以外の何者でもない。と、こうなるわけです。
非モテ保守は女性の貞操観念がなくなったことに怒り、非モテリベラルはそのフェミニズム的視点から同調圧力を否定するが、非モテリバタニアンはあくまで自分が勝手に生きるために、彼らの言論の自由を侵害する「素晴らしい人々」を攻撃する(ネットで)。
で、非モテ保守が目指しているのが大日本非モ帝國で、非モテリベラルが目指しているのが恋愛共産主義で非モテリバタニアンが目指しているのが非モテアナルコ・キャピタリズム(無政府非モテ資本主義)なんでしょうか。非モテ非モテって言っても同床異夢なんですよね。これに、各人の文化的資質(サブカルとか、オタクとか)や環境的資質(学校でどうだった?とか)によっていろんなスタンスが取れうるから、それこそ組み合わせは無限、ヴァンツァーの比じゃないですよ、と。だから結局、「このサイト(ブログ)はなんとなく好きだ」とかそういうので繋がっていくしかないんでしょうね。
最後に、リバタニアンで私が一番もっともだと思うのは、「徴税とは善良な市民に対する国家による暴力的な侵害以外の何者でもない」という主張ですね。まさにその通り。