古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」

フリーライター・婚活ライター・婚活アナリスト、古田ラジオのブログです。

今さら新世紀

お前どれだけ世の中から遅れてるんだよという話だけど、10年遅れでエヴァンゲリオン見終わった。で、ちょっと感想を書こうと思うんだけど、まず大前提として言っておきたいのが普通に面白かったって事。カッコイイロボットが様々な困難を乗り越えながら敵を倒していくというのは普通に見ていて楽しい。エヴァンゲリオンの動きもなんかかっちょよかった。
あと、最終回で示された碇シンジが普通の中学生で…ってやつ、あれはようするにリミックスだと思うんだけど、ああいうリミックスの可能性を自ら示したってのは凄いと思う。だから多分、どう解釈してもいいんだろうな。謎解きしようが、萌えようが、メンヘルになろうが。それどころかそれこそ学園ものとか、エロ同人誌作ろうがOKだということを公言するというのは凄いと思う。あと、オタク批判がどうとかっていうのは正直興味ない。
ただ、それ以上の「何か」があるからみんながすげーすげー言うわけで、その辺の事をつらつら書いてみようと思う。


・神話になれと言われた人たちのこと(あるいは、マッドチェスター)


私のような性根の捻じ曲がった人間はどうしても、なんにしても意地悪な見方をせざるを得ず、今回もご多分にもれずこういう意地悪な所に注目してしまう。ということで、今回もエヴァンゲリオンメンヘルというか精神哲学的な部分に共鳴してしまう人間の事が気になってしょうがない。それはオタクのことでもあるし、サブカルの事でもあるんだけど。
碇シンジ非モテかどうかはよくわからんのだけど、間違いなくCクラスであって、あれが現実の世界にいたら間違いなくABクラスの抑圧の対象となっていただろう。そしてそれは現実の世界での「ある人々」の姿そのものだと思う。そして「ある人々」に私が入るのかといわれれば恐らく入るだろう。
だから、エヴァンゲリオンを見た「ある人々」のある一定量が「碇シンジは私だ」となったのは想像に難くない。で、そういうった人々碇シンジに限らず、作品中の哲学的だったり精神的な部分に共感して、「こころの闇」を抱え、深刻な顔をして作品を見ているのだろう。問題はそんな私たちには乗るべきエヴァンゲリオンもなければ破壊できる日常も、それをする度胸もないということだと思うのだが、ともかく、そういった人にとっては、この作品は理想的な作品だ。
全く別の話。私はいわゆるマンチェスタームーブメントと呼ばれるバンドが好きで、その代表的なバンドにJoy Divisonというカリスマ的なバンドがいたんだけど、その名前の由来というのが「ナチスの売春施設」だということらしい。そしてその後継バンドたるNew Orderは「(ナチスが作る)新秩序」という意味。だけどバンドのメンバーがネオナチかというと当然そういうわけではなくて、それは単なる言葉遊びなわけです。そして、彼らの所属レーベルでは作品(自社ビルやポスターにまで!)全てに通し番号をつけたりしているんだけど、それはまぁ基本線は遊びなわけです。で、エヴァンゲリオンの心理的描写とか謎と呼ばれるものも、それ以上の意味をどうしても見出せない。ロンギヌスの槍がどうしたとか、聖書の話を持ってくるところとか、New OrderやJoyDivisonが自分達のバンド名にナチの名前をつけて「面白いでしょ?」みたいな。そしてそれに結構な権威の人々がコロッと騙されているところが非常に面白くもあり、絶望的でもあると思う。


エヴァンゲリオンという祭り(あるいは、下らない人生の生き方)


そうはいっても、私は羨ましい。エヴァンゲリオンをめぐる祭りに参加できたのだから。
別に碇シンジが私だと勘違いしてもいいじゃないか、解説書読んでもいいじゃないか、イタいポエム作ってもいいじゃないか、声優のラジオ聴いてもいいじゃないか、とすら私は思う。今から振りかえったら多分死ぬほど恥ずかしいと思うけど、それでも祭りに参加できたんだから。もっとも先達からいわせれば大したことないのかもしれないけれども。昔から色んな祭りがあった。例えば革命と呼ばれるものの大半がそうだし、昔あったといういわゆる左翼運動だとか。戦艦ヤマトやガンダムのムーブメントも多分そんなもんだったのだろう。
で、私たちの世代が参加できた今のところ唯一の祭りがエヴァンゲリオンだったんだろうなぁとしみじみ思う。高名な思想家やサブカルの大家が本を書いたり、テレビで特集されたり皆で映画の初日に並んだり、自分の周りのオタク/サブカルコミュニティで語り合ったり…。それは痛快なことだろう。私たちのしょーもない人生をごまかすのにちょうどいいものだ。祭囃子が聞こえていてもそれにあえて参加しなかった人間からするとこれはどんなに稚拙であとで振り返ったら赤面ものだったとしても羨ましく思う。なぜそれがアニメなのかということは一度考えてみたいことではあるんだけど。
そして、今後何らかの形でエヴァンゲリオンに匹敵するような祭りが起こるのかと問われるとこれはかなり怪しいと思う。ならば、各人が自分のくだらない人生をごまかせるような祭りを自分達でするしかない。でも、どうやって?